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「太平記」禁裡仙洞御修法の事付山崎合戦の事(その4)

敵を小勢と侮つて、真ん中に取り篭めて、余さじと戦ふ処に、田中・小寺・八木・神沢かんざはここかしこより百騎二百騎、思ひ思ひに懸け出でて、魚鱗に進み鶴翼に囲まんとす。これを見て狐河に控へたる勢五百余騎、六波羅勢の跡を切らんと、縄手なはてを伝ひ道をよこぎつて打ちまはるを見て、京勢叶はじとや思ひけん、捨て鞭を打つて引つ返す。片時の戦なりければ、京勢多く被打たる事はなけれども、堀・溝・深田ふかたに落ち入つて、馬物の具皆取る所もなくよごれたれば、白昼はくちうに京中を打ちとほるに、見物しける人毎に、「あはれ、さりとも陶山すやま河野かうのを被向たらば、これほどにきたなき負けはせじものを」と、笑はぬ人もなかりけり。去れば京勢この度打ち負けて、向かはで京に被残たる河野と陶山が手柄のほど、いとど名高く成りにけり。




(鎌倉幕府方は)敵を小勢と侮って、中に取り籠めて、余すところなくと戦うところに、田中・小寺・八木・神沢がここかしこより百騎二百騎と、思い思いに駆け出て、魚鱗に進み鶴翼に取り囲もうとしました。これを見た狐川(現京都府京田辺市)に控えていた勢五百余騎が、六波羅勢の後陣を断ち切ろうと、縄手(現大阪府東大阪市)を伝い道を横切って打ち廻るのを見て、京勢は敵わないと思ったか、捨て鞭を打つって引き返しました。あっという間の戦いでしたので、京勢の多くが討たれることはありませんでしたが、堀・溝・深田に落ち入って、馬物の具([武具])は皆残りなく汚れました、白昼に京中を打ち通ると、見物していた人毎に、「情けないことよ、せめて陶山・河野(河野通盛みちもり)を向かわせておれば、これほど惨めな負けはしなかったものを」と、笑わぬ人はいませんでした。こうして京勢はこの度打ち負けて、軍に向かわず京に残っていた河野(通盛)と陶山が手柄は、いっそう名高くなりました。


続く


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by santalab | 2016-05-16 07:26 | 太平記 | Comments(0)

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