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「太平記」広有射怪鳥事(その2)

「さらば上北面じやうほくめん諸庭しよていさぶらひどもの中に誰かさりぬべき者ある」と御たづねありけるに、「二条にでうの関白左大臣殿の被召仕候、隠岐の次郎左衛門じらうざゑもん広有ひろありまうす者こそ、そのに堪へたる者にて候へ」と被申ければ、やがて召之とて広有をぞ被召ける。広有承勅定鈴の間の辺にさふらひけるが、げにもこの鳥蚊のまつげに巣食うなる蟭螟せうめいの如くちひさくて不及矢も、虚空の外にかけり飛ばば叶ふまじ。目に見ゆる程の鳥にて、矢懸かりならんずるに、何事ありとも射はづすまじき物をと思ひければ、一義も不申畏つて領掌りやうじやうす。すなはち下人に持たせたる弓と矢とを執り寄せて、孫廂まごひさしの陰に立ち隠れて、この鳥の有様を伺ひ見るに、八月十七夜の月殊に晴れ渡つて、虚空清明たるに、大内山おほうちやまの上に黒雲一群ひとむら懸かつて、鳥啼くことしきりなり。鳴く時口より火炎くわえんを吐くかと思えて、声の内よりいなびかりして、その光御簾ぎよれんの内へ散徹す。広有この鳥の在所ありかをよくよく見課みおほせて、弓押し張りつる喰ひ湿して、流鏑矢かぶらやを差し番ひて立ち向かへば、主上しゆしやうは南殿に出御成つて叡覧あり。関白殿下・左右さう大将だいしやう・大中納言・八座・七弁・八省輔はつしやうふ・諸家の侍、堂上だうじやう堂下だうかに連袖、文武ぶんぶ百官見之、如何があらんずらんと固唾かたづを呑うで拳手。




「ならば上北面([北面の武士=院中を警固した武士。のうち、四位または五位の者])・諸庭の侍どもの中に誰かその者がおるか」と尋ねると、「二条関白左大臣殿(二条師基もろもと)が召し使っております、隠岐次郎左衛門広有(真弓広有)と申す者こそ、その器に堪える者でございます」と申したので、やがて召すべしと広有を呼びました。広有は勅定を蒙り鈴の間(校書殿きようしよでん。清涼殿の殿上の間から蔵人が小舎人を呼ぶための鈴付きの綱が張り渡してあったらしい)の辺に伺候していましたが、まことこの鳥蚊の睫([極めて小さい物の例え])に巣食う蟭螟([蚊のまつげに巣くうという想像上の小虫])ほどに小さく見えて矢にも及ばず、虚空の外に翔けて飛んでいましたのでとても射落とせるとは思えませんでした。目にやっと見えるほどの鳥が、矢に懸かるとも思えませんでしたが、何事があろうが射外すまいと思っていましたので、一義も申さず畏って領掌([承諾すること])しました。すぐに下人に持たせた弓と矢を取り寄せて、孫庇([寝殿造りなどで、母屋から出ている庇の外側に、さらに継いで添えた庇])の陰に立ち隠れて、この鳥の様子を窺い見れば、八月十七夜の月がとりわけ晴れ渡り、虚空は明るく澄んでいましたが、大内山(現京都市右京区にある仁和寺の北の山の名)の上に黒雲が一群れ懸かると、鳥がしきりに鳴きました。鳴く時は口から火炎を吐くように見えて、声の内からは電光を放ち、その光が御簾の内を透き通りました。広有はこの鳥の居場所を見届けると、弓を押し張り弦を喰い湿して、鏑矢を差し番い立ち向かえば、主上(第九十六代後醍醐天皇)は南殿(紫宸殿)に出御になられてご覧になられました。関白殿下(二条師基)・左右大将(左大将は、一条経通つねみち、右大将は、九条道教みちのり)・大中納言・八座([参議の異称])・七弁([弁官])・八省輔([八省]=[中務省・式部省・治部省・民部省・兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省]、[輔]=[大輔・少輔])・諸家の侍、堂上堂下に袖を連ね、文武百官が見物し、どうなることかと固唾を呑んで見守りました。


続く


by santalab | 2016-05-26 00:24 | 太平記

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