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「太平記」主上都落の事付勅使河原自害の事(その3)

ここに信濃の国の住人ぢゆうにん勅使川原てしかはら丹三郎たんざぶらうは、大渡おほわたりの手に向かひたりけるが、宇治も山崎も破れて、主上しゆしやう早やいづちともなく東を差して落ちさせ給ひぬと披露ありければ、「見危致命臣の義なり。我何のかんばせあつてか、亡朝ばうてうの臣として、不義の逆臣にしたがはんや」と云ひて、三条川原さんでうがはらより父子三騎引つかへして、鳥羽の作り路・羅精門らしやうもんの辺にて、腹掻き切つて死にけり。




信濃国の住人勅使川原丹三郎(勅使河原直重なほしげ)は、大渡(現京都府八幡市)の手に向かっていましたが、宇治(現京都府宇治市)も山崎(現大阪府三島郡島本町)も破れて、主上(第九十六代後醍醐天皇)はすでにどちらへとも知れず東を指して落ちられたと知らされて、「危うきを見て命を致すのが臣の義というものぞ。面目を失ってまで、亡朝の臣として、不義の逆臣に従うことはできぬ」と言って、三条河原より父子三騎引き返して、鳥羽作路([朱雀大路の入口である羅城門より真南に伸びて鳥羽を経由して淀方面に通じた古代道路])・羅城門の辺で、腹を掻き切って死にました。


続く


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by santalab | 2016-06-26 08:59 | 太平記 | Comments(0)

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