夜すでに明け方になりしかば源中納言顕家の卿二万余騎、新田左兵衛の督義貞三万余騎、脇屋・堀口・額田・鳥山の勢一万五千余騎、志賀・唐崎の浜路に駒を進めて押し寄せて、後陣遅しとぞ待ちける。前陣の勢先づ大津の西の浦、松本の宿に火を懸けて鬨の声を上ぐ。三井寺の勢ども、兼ねてより用意したる事なれば、南院の坂口に下り合つて、散々に射る。一番に千葉の介千余騎にて押し寄せ、一二の木戸打ち破り、城の中へ切つて入り、三方に敵を受けて、半時計り戦ふたり。細川の卿の律師定禅が横合ひに懸かりける四国の勢六千余騎に取り籠められて、千葉の新介矢庭に討たれにければ、その手の兵百余騎に、当の敵を討たんと駆け入り駆け入り戦うて、百五十騎討たれにければ、後陣に譲つて引き退く。
夜がすでに明け方になると源中納言顕家卿(北畠顕家)二万余騎、新田左兵衛督義貞(新田義貞)三万余騎、脇屋(脇屋義助)・堀口・額田・鳥山の勢一万五千余騎、志賀(現滋賀県大津市)・唐崎(現滋賀県大津市)の浜路に駒を進めて押し寄せて、後陣遅しと待ちました。前陣の勢はまず大津の西の浦、松本宿に火を懸けて鬨の声を上げました。三井寺(現滋賀県大津市にある園城寺)の勢どもは、予ねてより用意していましたので、南院の坂口に下り合って、散々に矢を射ました。一番に千葉介(千葉貞胤)が千余騎で押し寄せ、一二の木戸を打ち破り、城の中へ切って入り、三方に敵を受けて、半時ばかり戦いました。細川卿律師定禅(細川定禅)が横合いに懸かる四国の勢六千余騎に取り籠められて、千葉新介(千葉一胤。千葉貞胤の長男)がたちまち討たれたので、その手の兵百余騎に、敵を討とうと駆け入り駆け入り戦って、百五十騎が討たれて、後陣に譲って引き退きました。
(続く)