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「太平記」三井寺合戦並当寺撞鐘事付俵藤太事(その7)

彼ら二人ににん、二本の率都婆を軽々かるかると打ちかたげ、堀のはたに突き立てて、先づ自歎じたんをこそしたりけれ。「異国には烏獲をうくわく樊噲はんくわい、我がてうには和泉いづみの小次郎・浅井那あさゐな三郎、これ皆世に並びなき大力だいぢからと聞こゆれども、我らが力に幾程か勝るべき。言ふところ傍若無人ばうじやくぶじんなりと思はん人は、寄せ合つて力根ちからねのほどを御覧ぜよ」と言ふままに、二本の率都婆を同じやうに、向かひの岸へぞ倒し懸けたりける。率都婆のおもてたひらかにして、二本相並あひならべたればあたか四条しでう・五条の橋の如し。ここにはた六郎左衛門ろくらうざゑもん亘理わたり新左衛門しんざゑもん二人ににん橋の詰めにありけるが、「御辺たちは橋渡しの判官になり給へ。我らは合戦をせん」とたはむれて、二人とも橋の上をさらさらと走り渡り、堀の上なる逆茂木さかもぎども取つて引き退け、各々木戸の脇にぞ着いたりける。これを防ぎけるつはものども、三方さんぱう土矢間つちさまより槍・長刀を差し出だして散々に突きけるを、亘理新左衛門、十六じふろくまで奪うてぞ捨てたりける。畑六郎左衛門これを見て、「退けや亘理殿、その屏引き破つて心安く人々に合戦せさせん」と言ふままに、走り懸かり、右の足を上げて、木戸のくわんの木の辺を、二踏み三踏みぞ踏んだりける。あまりに強く踏まれて、二筋ふたすぢ渡せる八九寸のくわんの木、中よりれて、木戸の扉も屏柱へいはしらも、同じくどうど倒れければ、防がんとする兵五百余人、四方しはうに散つてさつと引く。




彼ら二人(栗生顕友あきとも・篠塚重広しげひろ)は、二本の率都婆を軽々と持ち上げると、堀の端に突き立てて、まず自歎([自画自賛])しました。「異国(中国)には烏獲(秦の武王に仕えた。大力の持ち主だったそうな)・樊噲(中国の秦末から前漢初期にかけての武将)、我が朝には和泉小次郎(泉親衡ちかひら。鎌倉初期の武将。鎌倉幕府御家人)・浅井那三郎(朝比奈義秀よしひで。鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府御家人)、これらは皆世に並びない大力だったと知られていますが、我らの力にどれほど勝っていたことでしょう。言ふところの傍若無人([人前を憚からず、勝手に振る舞う様])に戦おうと思う者は、寄せ合って力のほどを確かめよ」と言うままに、二本の率都婆を並べて、向こう岸に倒し懸けました。率都婆の面は平らで、二本並べるとまるで四条・五条の橋のようでした。畑六郎左衛門(畑時能ときよし)・亘理新左衛門(渡里忠景ただかげ)二人は橋詰めにいましたが、「お主たちは橋渡しの判官([衛府の尉で、検非違使を兼ねるもの])になられよ。我らは合戦をするぞ」と冗談交じりに言うと、二人とも橋の上をさらさらと走り渡り、堀の上の逆茂木を取って引き退け、各々木戸の脇に着きました。防いでいた兵どもは、三方の土矢間([矢狭間やさま]=[城壁や櫓などに開けた、矢を射るための穴])より槍・長刀を差し出して散々に突きましたが、亘理新左衛門(渡里忠景)は、十六まで奪い取って捨てました。畑六郎左衛門(畑時能)はこれを見て、「退けや亘理殿、その屏を引き破って心安く人々に合戦させるぞ」と言うままに、走り懸かり、右足を上げて、木戸の貫の木([閂]=[門の扉が開かないようにする横木])のあたりを、二踏み三踏み蹴りました。あまりに強く蹴られて、二筋渡した八九寸(約24〜27cm)の貫の木は、途中より折れて、木戸の扉も屏柱も、同じくどっと倒れたので、防いでいた兵五百余人は、四方に散ってさっと引き退きました。


続く


by santalab | 2016-07-07 08:09 | 太平記

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