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「太平記」高倉殿京都退去の事付殷紂王の事(その2)

これを聞いて、御内の者は不及申、外様の大名、国々の守護、四十八箇所しじふはちかしよかがり三百余人、在京人ざいきやうにん、畿内・近国・四国・九州より、この間上り集まりたる軍勢ども、我も我もと跡を追つて落ち行きけるほどに、今は公家被官ひくわんの者より外、京中きやうぢゆうに人ありとも更に不見けり。夜明ければ、宰相さいしやう中将殿ちゆうじやうどの将軍しやうぐんの御屋形へ被参て、「今夜京中のひしめき、非直事思えて候ふ。落ち行きけるつはものども大勢にて候ふなれば、もし立ちかへりて寄する事もや候はんずらん」と申されければ、将軍すこしも不騒給、「運は天にあり、何の用心かすべき」とて、褒貶はうへん探冊たんじやく取り出だし、心閑こころしづかに詠吟し、打嘯うそぶいてぞおはしける。高倉殿已に越前の敦賀つるがの津におはして、著到ちやくたうを著けられけるに、初めは一万三千余騎ありけるが、勢日々に加はつて六万余騎と注せり。この時もしこの大勢を率して京都へ寄せたらましかば、将軍も宰相の中将殿も、戦ふまでもおはしまさじを、そぞろなる長僉議ながせんぎ、道も立たぬなま才学に時移りて、数日すじついたづらに過ごしにけり。




これを聞いて、身内の者は申すに及ばず、外様の大名、国々の守護は、四十八箇所の篝火三百余人、在京人、畿内・近国・四国・九州より、この間上り集まった軍勢どもが、我も我もと跡を追って落ちて行ったので、今は公家被官の者のほかは、京中に人があるとも思えませんでした。夜が明ければ、宰相中将殿(足利義詮よしあきら。足利尊氏の嫡男)が将軍(足利尊氏)の館に参って、「今夜の京中のひしめき、只事ならず思われます。落ち行く兵ども大勢でございますれば、もしや立ち帰って寄せることもございましょう」と申しました、将軍は少しも騒がず、「運は天にあり、何の用心をすべき」と申して、褒貶([褒めることとけなすこと])の探冊(短冊)を取り出し、心閑かに詠吟し、口ずさんでいました。高倉殿(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)はすに越前の敦賀の津(現福井県敦賀市)に着いて、著到([著到状]=[不時の出陣命令を受けてそれに応じ、あるいはみずからこれを聞いて自発的に参着したことを記して提出する文書])を付けると、はじは一万三千余騎でしたが、勢は日々に加わって六万余騎となりました。この時もしもこの大勢を率して京都へ寄せたなら、将軍も宰相中将殿も、戦うことはなかったでしょうが、無駄に長僉議し、道理も立たぬ才学に時を移して、数日を徒らに過ごしました。


続く


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by santalab | 2016-07-09 19:37 | 太平記 | Comments(0)

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