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「太平記」高倉殿京都退去の事付殷紂王の事(その8)

いにしへの事を引いて今の世を見候ふに、ただ羽林相公うりんしやうこうの淫乱、すこぶいん紂王ちうわう無道ぶだう相似あひにたり、君仁を行はせ給ひて、これを亡ぼされんに何の子細か候ふべき」と、禅門をば文王の徳に比し、我が身をば太公望になぞらへて、時節をりふしに付けて申しけるを、信ぜられけるこそ愚かなれ。さればとて禅門の行迹かうせき、泰伯が有徳のをひ、文王にゆづりし仁にも非ず。また周公の無道ぶだうこのかみ、管叔を討たせし義にも非ず。権道覇業けんだうはげふふたつながら欠けたる人とぞ見へたりける。




古を引いて今の世を見るに、(足利義詮よしあきら。足利尊氏の嫡男。[羽林]=[近衛府の唐名。特に近衛府の中将・少将の唐名]。[相公]=[宰相の敬称])の淫乱は、まるで殷の紂王(殷の第三十代王)の無道と同じです、君よ仁を行われて、これを亡ぼされるのに何を躊躇されることがございましょう」と、禅門(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)を文王(中国周朝の始祖)の徳に比し、我が身を太公望(中国周の軍師、後に斉の始祖)に準えて、折に付けて申すのを、信じることこそ愚かなことでした。なれば禅門の行迹([人がおこなってきた事柄])は、泰伯(呉の祖。文王の伯父)が有徳の甥である、文王に国を譲った仁でもありませんでした。また周公(周の政治家。文王の四男)が無道の兄、管叔(文王の三男)を討った義でもありませんでした。権道([手段・方法は道に外れているが、結果からみて正道にかなっていること])覇業([力をもって天下を支配すること])の、二つとも欠けていたとしか思えませんでした。


続く


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by santalab | 2016-07-10 09:50 | 太平記 | Comments(0)

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