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「太平記」建武二年正月十六日合戦事(その7)

将軍を始め奉りて、吉良・石堂いしだうかう・上杉の人々これを見て、御方の者どもが敵となり合ひて後ろ矢を射るよと思はれければ、心を置き合ひて、高・上杉の人々は、山崎を指して引き退き、将軍・吉良・石堂・仁木につき・細川の人々は、丹波路たんばぢへ向かつて落ち給ふ。官軍くわんぐんいよいよ勝つに乗つて短兵たんへい急に取りひしぐ。将軍今はのがるる所なしと思し召るけるにや、梅津むめづ桂河かつらがは辺にては、鎧の草摺くさずり畳み上げて腰の刀を抜かんとし給ふ事、三箇度に及びけり。されども将軍の御運や強かりけん、日すでに暮れけるを見て、追ひ手桂河より引きかへしければ、将軍もしばらく松尾まつのを・葉室の間に控へて、梅酸ばいさんかつをぞ休められける。




将軍(足利尊氏)をはじめ、吉良・石堂(石塔)・高・上杉の人々はこれを見て、味方の者どもが敵となって後ろ矢を射ると思い、用心して、高・上杉の人々は、山崎(現大阪府三島郡島本町)を指して引き退き、将軍・吉良・石塔・仁木・細川の人々は、丹波路に向かって落ちて行きました。官軍は勝つに乗って短兵急([刀剣などをもって急激に攻める様])に攻め立てました。将軍今は遁れるところなしと思ったか、梅津(現京都市右京区)、桂川(現京都市右京区)辺では、鎧の草摺([甲冑の胴の裾に垂れ、下半身を防御する部分])を畳み上げて腰の刀を抜こうとすること、三度に及びました。けれども将軍の運が強かったか、日がすでに暮れるのを見て、追い手は桂川より引き返したので、将軍もしばらく松尾(現京都市西京区)・葉室(現京都市西京区)の間に控えて、梅酸渇を休めました([梅酸渇を休む]=[魏の武帝が軍隊を引き連れて道に迷い、水がなくて乾きに苦しんだ際、前進すれば実のなった梅林があって乾きを癒やすことができると励ますと、士卒は梅と聞いて口中につばが出て、進むことができたという故事])。


続く


by santalab | 2016-07-25 12:17 | 太平記

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