この上の哀れ誰かと思へるところに、帥の宮御文あり。これはさしも色深からぬ花染めの香り返りたるに、言葉はなくて、
数ならぬ みののを山の 夕時雨 つれなき松は 降るかひもなし
と遊ばされたり。この御歌を見て、娘そぞろに心あこがれぬと思えて、手に持ちながら詠じ伏したりければ、早やいづれをかと言ふべきほどもなければ、帥の宮の御使ひそぞろに独り
笑みして帰り参りぬ。やがてその夜の深け過ぐるほどに、
牛車さはやかに取り
賄いて、御迎ひに参りたり。滝口なりける人、中門の
傍らに休らひ兼ねて、夜も早や丑三つになりぬと急げば、娘
下簾を掲げさせて、扶けられ乗ろうとしけるところに、父の
基久外より帰り
詣で来て、「これはいづ方へぞ」と問ふに、母上、「帥の宮召しありて」と聞こゆ。
これ以上の悲しみはないと思われるところに、帥宮(後の第九十六代後醍醐天皇)から文がありました。それはさして色深くはない花染めに、言葉はなくて、
数にも入らぬ我が身ではあるが、美濃の小山(小山寺?現岐阜県美濃加茂市)に降る夕時雨のように涙に暮れておるぞよ。つれない松のような身には、どうしようもないことではあるが。
と書かれていました。この歌を見て、娘は思わず強く心惹かれて、文を持ちながら詠み伏したので、すでにいずれをというまでもないことでした、帥宮の使いは思わず微笑みながら帰りました。やがてその夜の深け過ぎるほどに、牛車を麗しく仕立てて、迎えに参りました。滝口([滝口の武士=宮中の警護にあたった武士])と思われる使いは、中門の傍らに待ち兼ねて、夜も早や丑三つ([午前三時頃])になりましたと急がせると、娘は下簾を上げさせて、助けられて乗ろうとするところに、父の基久が外より帰って来て、「これはどこへ行くのだ」と訊ねると、母上は、「帥宮からのお召しでございます」と答えました。
(続く)