一陣二陣如此なりしかば、浜の手も天王寺の勢も、大河後ろにあり両陣前に破れぬ。敵に橋を引かれなば一人も生きて帰る者不可有。先づ橋を警固せよとて、渡辺を差して引きけるが、大勢の靡き立ちたる習ひにて、一度も更に不返得、行く先狭き橋の上を、落つとも云はず堰き合ひたり。山名伊豆の守は我が身深手を負ふのみならず、馬の三頭を二太刀切られて、馬は弱りぬ、敵は手繁く懸かる。今は落ち延びじとや被思けん、橋爪にて已に腹を切らんとせられけるを、河村山城の守ただ一騎返し合はせて近付く敵二騎切つて落とし、三騎に手を負はせて、暫し支へたりける間に、安田弾正走り寄つて、「いかなる事にて候ふぞ。大将の腹切る所にては候はぬものを」と云ひて、己が六尺三寸の太刀を守木に成し、鎧武者を鎧の上に掻い負うて橋の上を渡るに、守木の太刀に堰き落とされて、水に溺るる者数を不知。
一陣二陣が負けると、浜の手も天王寺(現大阪市天王寺区にある四天王寺)の勢も、大河が後ろにあり両陣は目の前で敗れた。敵に橋を引かれたなら一人も生きて帰る者はおるまい。まず橋を警固せよと、渡辺(現大阪市中央区)を指して引こうとしましたが、大勢が乱れる習いにて、一度も返し得ず、行く先狭い橋の上を、落ちるともかまわず混み渡りました。山名伊豆守(山名時氏)は深手を負うばかりでなく、馬の三頭([馬の尻の方の、骨が盛り上がって高くなった所])を二太刀切られて、馬は弱っていた上に、敵は手繁く攻め懸かりました。今は落ち延びることは叶うまいと、橋詰ですでに腹を切ろうとするところに、河村山城守がただ一騎返し合わせて近付く敵二騎を切って落とし、三騎に手を負わせて、しばらく防ぐ間に、安田弾正が走り寄って、「どういうことでございます。大将が腹を切る所ではございません」と言って、己の六尺三寸の太刀を守り木にし、鎧武者を鎧の上に抱きかかえて橋の上を渡ると、守り木の太刀に突き落とされて、水に溺れる者は数知れませんでした。
(続く)