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「太平記」師直師泰出家事付薬師寺遁世事(その2)

さても三条殿さんでうどの御兄弟ごきやうだいの御事なれば、三条殿にとっては兄弟でしたので、将軍をこそ憎しと思し召さずとも、師直もろなほ去年の振る舞ひをば、なほも憎しと思し召さぬ事あるべからず。げにもかうべを延べて参るくらいならば、出家をして参るか、さらずは将軍を赤松のじやうへ遣りまゐらせて、師直は四国へや落つると評定ひやうぢやうありけるを、薬師寺次郎左衛門じらうざゑもん公義きんよし、「などかやうに力なき事をば仰せ候ふぞ。六条ろくでう判官はうぐわん為義ためよしが、己がとがを謝せん為に、入道になつて出で候ひしをば、義朝よしとも子の身としてだにも、首を刎ね候ひしぞかし。たとひ御出家候ひて、いかなる持戒持律ぢかいぢりつの僧とならせ給ひて候ふとも、三条殿の御心も安まり、上杉・畠山の一族たち、いきどほりを散じ候ふべしとは思え候はず。剃髪のかばね墨染めの衣の袖に血を注きて、憂き名を後代こうだいに残され候はん事、ただ口惜くちをしかるべき事にて候はずや。将軍を赤松のじやうへ入れ参らせて、師直を四国へ落とさばやとうけたまはり候ふ事も、すべてさるべきとも思え候はず。




三条殿(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)にとっては兄弟でしたので、将軍(足利尊氏)を憎いとは思わなくとも、師直(高師直)の去年の振る舞いを、なおも憎いと思わないことはありませんでした。首を延べて参るくらいならば、出家をして参るか、そうでなければ将軍を赤松城(苔縄城。現兵庫県赤穂郡上郡町)に移し、師直は四国に落とそうと評定がありましたが、薬師寺次郎左衛門公義(薬師寺公義)は、「どうしてそのような弱気なことを申されますや。六条判官為義(源為義)が、己の咎を謝するために、入道になって降人となりましたが、義朝(源義朝。源為義の長男)は子の身ながら、首を刎ねたのでございます。たとえ出家して、いかなる持戒持律の僧となろうが、三条殿のお心も安まり、上杉(上杉重能しげよし。師直によって捕らえられ、畠山直宗と共に越前へ流された)・畠山(畠山直宗ただむね)の一族たちが、憤りを鎮めるともおもわれません。剃髪の屍墨染めの衣の袖に血を注いで、憂き名を後代に残されませぬことは、無念に思われませんか。将軍を赤松城に参らせて、師直を四国に流れるとお聞きしましたが、適切な沙汰とは思いません。


続く


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by santalab | 2016-09-20 10:39 | 太平記 | Comments(0)

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