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「太平記」師直以下被誅事付仁義血気勇者の事(その4)

梶原孫六をば佐々宇ささう六郎左衛門ろくらうざゑもんこれを打つ。山口新左衛門しんざゑもんをば高山又次郎切つて落とす。梶原孫七はじふ余町よちやう前に打ちけるが、跡に軍あつて執事の討たれぬるやと人の云ひけるを聞きて、取つて返して打ち刀を抜いて戦ひけるが、自害を半ばにしかけて、路のかたはらに伏したりけるを、阿佐美三郎左衛門さぶらうざゑもん年来としごろ知音ちいんなりけるが、人手に懸けんよりはとて、泣く泣く首を取つてけり。鹿目かのめ平次左衛門は、山口が討たるるを見て、身の上とや思ひけん、跡なる長尾三郎左衛門に抜いて懸りかけるを、長尾少しも不騒、「御事の身の上にては候はぬものを、僻事ひがごとし出だして、命失はせ給ふな」と云はて、をめをめと太刀を指して、物語して行きけるを、長尾中間ちゆうげんにきつと目くはせしたれば、中間二人ににん鹿目が馬に付ひ傍うて、「御馬おんむまくつ切つて捨て候はん」とて、抜いたる刀を取り直し、ひぢの懸かりを二刀刺して、馬より取つて引き落とし、主に首をば掻かせけり。河津かはづ左衛門は、小清水の合戦に痛手を負ひたりける間、馬には乗り得ずして、塵取りに舁かれて、遥かの迹に来けるが、執事こそすでに討たれさせ給ひつれと、人の云ふを聞きて、とある辻堂つじだうのありけるに、輿を舁き据ゑさせ、腹掻き切つて死にけり。




梶原孫六は佐々宇六郎左衛門に討たれました。山口新左衛門は高山又次郎が斬って落としました。梶原孫七は十余町前を進んでいましたが、後ろで軍があって執事(高師直もろなほ)が討たれたと人が言うのを聞いて、取って返して打ち刀を抜いて戦いましたが、自害を半ばにしかけて、路の傍らに伏しました、阿佐美三郎左衛門は、年来の知音([互いによく心を知り合った友])でしたが、人手に懸けるのならばと、泣く泣く首を取りました。鹿目平次左衛門は、山口(新左衛門)が討たれるのを見て、身の上と思ったか、後ろの長尾三郎左衛門に抜いて懸かりましたが、長尾は少しも騒がず、「身の上のことではないものを、僻事([道理や事実に合わないこと])をなして、命を失うな」と言われて、おめおめと太刀を収めて、話しをしながら進んでいましたが、長尾(三郎左衛門)が中間([武士の下位の者])に目配せすると、中間二人は鹿目(平次左衛門)の馬に寄り添って、「馬沓([ひづめを保護するための藁や皮革・和紙などで作った馬用の履物])を切ってあげましょう」と言って、抜いた刀を取り直し、肘の懸かりを二刀刺して、馬より取って引き落とし、主(上杉能憲よしのり)に首を掻かせました。河津左衛門(河津氏明うぢあき?)は、小清水(越水。現兵庫県西宮市)の合戦で痛手を負っていたので、馬には乗ることができずに、塵取り([塵取り輿]=[腰輿たごしの簡略なもの。高欄だけで屋形のないもの])に舁かれて、遥か後に付いていましたが、執事(高師直)はすでに討たれたと、人が言うのを聞いて、とある辻堂があったので、輿を舁き据えさせて、腹を掻き切って死にました。


続く


by santalab | 2016-10-01 09:08 | 太平記

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