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「明徳記」巻第中(その5)

さるほどに、京都には山名播磨守満幸みつゆき、出雲伯耆讃岐丹後四箇国の勢、一千二百余騎一手になつて、寄せ来る由聞こえしかば、細川武蔵入道常久畠山右衛門すけ基国もとくに、都合その勢二千七百余騎、皆雀の森二条口へ出張して、二つ引両の旗五流れ打ち立て、魚鱗に進み、虎踏に開きて、一足も退かず。一戦の中に万卒の死を軽くせよと、兵を進めて控へたり。御所も御馬廻り三千余騎にて、中御門大宮へ打つて出でさせ給へて、東西の攻め口難儀ならん方を、御合力あるべしとて、御旗を進めて控へさせ給ふ。御所のその日の御装束には、わざと小袖をば召されず。燻皮ふすべかわの御腹巻の中二通り、黒皮にて威したるをぞ召されたりける。同じ毛の五枚兜の緒を締め、累代の御重宝と聞こえし、篠作りといふ御帯刀に、二つ銘といふ御太刀を、二振り添えて佩かせ給ひける。薬研徹やげんとほしといふ御脇差しを差させ給へて、御秘蔵の大河原毛、五尺の馬と聞こえしに、金覆輪の御鞍置きて、厚總鞦あつふさしりがい懸いてぞ召されたる。




やがて、京都には山名播磨守満幸、出雲伯耆讃岐丹後四箇国の勢、一千二百余騎が一手になって、寄せ来ると聞こえたので、細川武蔵入道常久(細川頼之よりゆき)畠山右衛門佐基国、都合その勢二千七百余騎は、皆雀森(更雀きようしやく寺。今は京都市左京区にある)二条口へ出張して、二つ引両(足利氏の紋)の旗を五流れ立てて、魚鱗に進み、虎踏に開いて、一足も退きませんでした。一戦の中に万卒の死を軽くせよと、兵を進めて控えました。御所(室町幕府第三代将軍、足利義満よしみつ)も馬廻り([騎馬の武士で、大将の馬の周囲に付き添って護衛や伝令及び決戦兵力として用いられた武家の職制])三千余騎とともに、中御門大宮へ打って出て、東西の攻め口の難儀なる方に、合力すべしと、旗を進めて控えました。御所のその日の装束には、わざと小袖を召されませんでした。燻革([松葉などの煙でいぶして着色した革])の腹巻に、黒皮で威した鎧を付けていました。同じ毛の五枚兜([しころ=兜の鉢から左右や後方に垂れて首を覆うもの。の板が五枚ある兜])の緒を締め、累代の重宝と聞こえる、篠作りといふ帯刀に、二つ銘(二つ銘則宗のりむね。現存)という太刀を、二振り添えて佩いていました。薬研徹しという脇差しを差して、秘蔵の大河原毛、五尺といわれる馬に、金覆輪([刀や鞍くらなどの縁飾りの覆輪に、金または金色の金属を用いたもの])の鞍を置いて、厚総鞦([馬具で、面繋おもがい胸繋むながい・尻繋の各部に付けた糸の総を特に厚く垂らしたもの])を懸いて乗っておりました。


続く


by santalab | 2016-10-04 10:19 | 明徳記

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