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「太平記」自伊勢進宝剣事黄粱夢事(その5)

神代の事をば、いかにも日本記にほんぎの家に存知すべき事なれば、くはしくたづね給はんとて、平野の社の神主、神祇しんぎ大副たいふ兼員かねかずをぞ召されける。大納言、兼員に向かつてのたまひけるは、「そもそも三種さんじゆ神器じんぎの事、家々に相伝さうでんし来たる義まちまちなりといへども、資明すけあきらはいまだこれを信ぜず。画工闘牛ぐわこうとうぎうの尾を誤つて牧童に笑はれたる事なれば、御辺の申され候はん義を正路せいろとすべきにて候ふ。いささかもつて事のついでに、この事存知したき事あり。くはしく宣説せんせつ候へ」とぞ仰されける。兼員かねかず畏つて申しけるは、「御前おんまへにてかやうの事を申し候はんは、ただ養由やういうに弓を教へ、羲之ぎしに筆をさづけんとするに相似て候へども、御尋ねある事を申さざらむも、また恐れにて候へば、伝はるところの儀一事も残らず申さんずるにて候ふ。先づ天神七代と申すは、第一国常立尊くにとこたちのみこと、第二国挟槌尊くにさづちのみこと、第三豊斟渟尊とよくんぬのみこと。この時天地あめつち開け始めて空中に物あり、葦芽あしかびの如しといへり。その後男神をかみ泥土瓊尊うひぢにのみこと大戸之道尊おほとのちのみこと面足尊おもたるのみこと女神めかみ沙土瓊尊すひぢにのみこと大戸間辺尊おほとまべのみこと惶根尊かしこねのみこと。この時男女の形ありといへども更に婚合こんがふの儀なし。




神代の事は、日本記の家が知っている事柄でしたので、詳しく訊ねようと、平野社(現京都市北区にある平野神社)の神主、神祇大副兼員(卜部兼員)を呼びました(卜部氏は、代々『日本書紀』の解釈を家業としたらしい)。大納言(柳原資明すけあきら)が、兼員に向かって申すには、「そもそも三種の神器については、家々に相伝されている話がそれぞれ異なっており、資明はいまだ何がまことか知らぬ。『画工闘牛の尾を誤って牧童に笑われる』([無学な者でも専門の事には詳しい知識を 持っているから、教えを受けるがよい、という意味])という、お主の申すことを正路([正道])にしようと思うておるのだ。困っておることがあってなこの機会に、はっきりさせたいのだ。詳しく宣説([述べて解き明かすこと])してほしい」と申しました。兼員は畏り申して、「御前にてかようの事を申すのは、ただ養由(養由基。春秋時代の楚の武将。弓の名人)に弓を教え、羲之(王献之けんし。東晋の書家)に筆を授けるようなものでございますけれども、お訊ねになられる事にお答えしないのも、また恐れあることでございますれば、伝わるところの儀を一事も残らず申すことにいたしましょう。まず天神七代と申しますのは、第一に国常立尊(国之常立神くにのとこたちのみこと。『日本書紀』において最初の神)、第二に国挟槌尊、第三に豊斟渟尊。この時天地が分かれて空中に物が生まれ、葦芽のようなものであったといいます。その後男神に泥土瓊尊(埿土煮尊)・大戸之道尊・面足尊、女神に沙土瓊尊(沙土煮尊)・大戸間辺尊(大苫辺尊)・惶根尊でございます。この時すでに男女の姿をしておりましたが婚合することはありませんでした。


続く


by santalab | 2017-01-31 18:52 | 太平記

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