神代の事をば、いかにも日本記の家に存知すべき事なれば、委しく尋ね給はんとて、平野の社の神主、神祇の大副兼員をぞ召されける。大納言、兼員に向かつてのたまひけるは、「そもそも三種の神器の事、家々に相伝し来たる義まちまちなりといへども、資明はいまだこれを信ぜず。画工闘牛の尾を誤つて牧童に笑はれたる事なれば、御辺の申され候はん義を正路とすべきにて候ふ。いささかもつて事のついでに、この事存知したき事あり。委しく宣説候へ」とぞ仰されける。兼員畏つて申しけるは、「御前にてかやうの事を申し候はんは、ただ養由に弓を教へ、羲之に筆を授けんとするに相似て候へども、御尋ねある事を申さざらむも、また恐れにて候へば、伝はるところの儀一事も残らず申さんずるにて候ふ。先づ天神七代と申すは、第一国常立尊、第二国挟槌尊、第三豊斟渟尊。この時天地開け始めて空中に物あり、葦芽の如しといへり。その後男神に泥土瓊尊・大戸之道尊・面足尊、女神に沙土瓊尊・大戸間辺尊・惶根尊。この時男女の形ありといへども更に婚合の儀なし。
神代の事は、日本記の家が知っている事柄でしたので、詳しく訊ねようと、平野社(現京都市北区にある平野神社)の神主、神祇大副兼員(卜部兼員)を呼びました(卜部氏は、代々『日本書紀』の解釈を家業としたらしい)。大納言(柳原資明)が、兼員に向かって申すには、「そもそも三種の神器については、家々に相伝されている話がそれぞれ異なっており、資明はいまだ何がまことか知らぬ。『画工闘牛の尾を誤って牧童に笑われる』([無学な者でも専門の事には詳しい知識を 持っているから、教えを受けるがよい、という意味])という、お主の申すことを正路([正道])にしようと思うておるのだ。困っておることがあってなこの機会に、はっきりさせたいのだ。詳しく宣説([述べて解き明かすこと])してほしい」と申しました。兼員は畏り申して、「御前にてかようの事を申すのは、ただ養由(養由基。春秋時代の楚の武将。弓の名人)に弓を教え、羲之(王献之。東晋の書家)に筆を授けるようなものでございますけれども、お訊ねになられる事にお答えしないのも、また恐れあることでございますれば、伝わるところの儀を一事も残らず申すことにいたしましょう。まず天神七代と申しますのは、第一に国常立尊(国之常立神。『日本書紀』において最初の神)、第二に国挟槌尊、第三に豊斟渟尊。この時天地が分かれて空中に物が生まれ、葦芽のようなものであったといいます。その後男神に泥土瓊尊(埿土煮尊)・大戸之道尊・面足尊、女神に沙土瓊尊(沙土煮尊)・大戸間辺尊(大苫辺尊)・惶根尊でございます。この時すでに男女の姿をしておりましたが婚合することはありませんでした。
(続く)