楚王に位を可継御子なくして、その孫子出で来にければ、公卿大臣皆相計つて、楚国の王に成し奉る。蛮夷率服し、諸侯の来朝する事、ただ秦の始皇の六国を合はせ、漢の文慧の九夷を順へしに不異。王子已に三歳に成り給ひける時、洞庭の波上に三千余艘の舟を双べ、数百万人の好客を集めて、三年三月の遊びをし給ふ。紫髯の老将は解錦纜、青蛾の御娘は唱棹歌。かれをさへや大梵高台の花喜見城宮の月も、不足見不足翫と、遊び戯れ舞ひ歌うて、三年三月の歓娯已に終はりける時、夫人かの三歳の太子を懐いて、舷に立ち給ひたるが、踏み外して太子夫人諸共に、海底に落ち入り給ひてげり。数万の侍臣あわてて一同に、「あらやあらや」と云ふ声に、客の夢忽ちに覚めてげり。
楚王には位を継ぐべき王子がいませんでしたが、孫子が生まれたので、公卿大臣が相談して、この孫を楚国の王にしました。蛮夷は残さず従い、諸侯が来朝しました、まるで秦始皇帝が六国([斉 · 楚 · 燕 · 韓 · 魏 · 趙])を合わせ、漢の文慧(文叔。後漢初代皇帝、光武帝)が九夷([昔、中国の漢民族が東方にあると考えた九つの野蛮国。畎夷・于夷・方夷・黄夷・白夷・赤夷・玄夷・風夷・陽夷])を従えたようなものでした。王子が三歳になった時、洞庭(現湖南省北東部にある淡水湖)の波上に三千余艘の舟を並べ、数百万人の客を集めて、三年三月(三月三日?節句)の遊びをなしました。紫髯([赤みがかった頬ひげ。 西方の異民族の容貌])の老将は金襴([緯糸に金糸を織り込んで紋様を表した豪華な織物])を脱ぎ、青蛾([黛で描いた青く美しい眉まゆ。美人の形容])の娘は棹歌([船頭の歌う歌])を唄いました。大梵高台([大梵天=色界十八天の中の第三天。の住む宮殿])の花喜見城宮([須弥山の頂上の忉利天にある帝釈天の居城])の月も、過ぎないほど、遊び戯れ舞い歌い、三年三月の歓娯が終わろうとした時、夫人は三歳の太子を懐いて、舷に立ちましたが、踏み外して太子夫人諸共に、水底に沈んでしまいました。数万の侍臣はあわてて一同に、「あらあら」と言う声に、客は夢からたちまちに覚めました。
(続く)