かの上人、承平四年八月一日午時頓死して、十三日ぞおはしましける。そのほど夢にも非ず、幻にも非ず、金剛蔵王の善巧方便にて、三界流転の間、六道四生の棲みかを見給ひけるに、等活地獄の別処、鉄崛地獄とてあり。火焔渦巻き黒雲空に掩へり。觜ある鳥飛び来て、罪人の眼をつつき抜く。また鉄の牙ある犬来て、罪人の脳を吸ひ喰らふ。獄卒眼を怒らかして声を振る事雷の如し狼虎罪人の肉を裂き、利剣足の蹈み所なし。その中に焼き炭の如くなる罪人有四人。叫喚する声を聞けば、忝くも延喜の帝にてぞおはしましける。
日蔵上人は、承平四年(934)八月一日午時に頓死([急死])して、十三日間黄泉におられた。その時夢にもあらず、幻にもあらず、金剛蔵王(現奈良県吉野郡吉野町にある金峯山寺の本尊、蔵王権現)の善巧方便([衆生を救うために、衆生の機根 =素質)。に応じて種々の方便を用いること])により、三界流転([三種の迷いの世界に生と死を繰り返すこと])の間、六道四生([六道における四種の生まれ方。胎生・卵生・湿生・化生])の住みかを見たが、等活地獄([八大地獄の第一。殺生を犯した者の落ちる地獄])の別処([八大地獄に付属する小地獄])に、鉄崛地獄というものがあった。火焔が渦巻いて黒雲が空を覆っておった。くちばしがある鳥が飛んで来て、罪人の眼をつつき抜いておった。また鉄の牙がある犬がやって来て、罪人の脳を喰っておった。獄卒([地獄に居る鬼])は眼を怒らかして声を出せばまるで雷が落ちるようであった。狼虎が罪人の肉を喰いちぎり、利剣([鋭利なつるぎ])が足の踏み所なく生えておった。その中に焼き炭のように焦がされる罪人が四人いた。叫喚([大声で喚き叫ぶこと])する声を聞けば、忝くも延喜帝(第六十代醍醐天皇)であられたのだ。
(続く)