関東帰居の後、最前にこの事をありの侭に被申しかば、仙洞大きに有御恥久我の旧領悉く早速に被還付けり。さてこそこの修行者をば、貞時と被知けれ。一日二日のほどなれど、旅に過ぎたる哀れはなし。況乎烟霞万里の道の末、思ひ遣るだに憂きものを、深山路に行き暮れては、苔の莚に露を敷き、遠き野原を分け佗びては、草の枕に霜を結ぶ。喚渡口船立ち、失山頭路帰る。烟蓑雨笠、破草鞋の底、すべて故郷を思ふ愁へならずと云ふ事なし。あに天下の主として、身富貴に居する人、好んで諸国を可修行や。ただ身安く楽しみに誇つては、世難治事を知る故に、三年の間ただ一人、山川を斗薮し給ひける心のほどこそ難有けれと、感ぜぬ人もなかりけり。
(鎌倉幕府第九代執権、北条貞時は)関東帰居の後、真っ先この事をありのままに申し上げたので、仙洞はたいそう後悔されてさっそく久我の旧領を残らず返された。こうしてこの修行者が、貞時だと知れたのだ。それにしても一日二日のほどでさえ、旅ほど哀れに思うものはない。烟霞万里の道の末を、思ひ遣るさえ憂きものを、深山路に行き暮れて、苔の莚に露を敷き、里遠い野原を分けて、草の枕に霜を結ぶ。喚渡口(相模川?)を船で出て、山頭に路を見失い引き返す、蓑は煙り笠は雨に濡れて、草鞋の底は擦り切れて、すべて故郷を思う愁えとなったであろう。どうして天下の主として、富貴に身を置く人が、好んで諸国を修行するものか。ただ安寧にして楽しみに誇っていては、世を治め難いことを知って、三年間ただ一人、山川を斗薮([衣食住に対する欲望を払い退け、身心を清浄にすること。また、その修行])しようと思う気持ちのありがたさよと、感心しない人はいなかった。
(続く)