その後本院の大臣受病身心鎮へに苦しみ給ふ。浄蔵貴所を奉請被加持けるに、大臣の左右の耳より、小青蛇頭を差し出だして、「やや浄蔵貴所、我無実の讒に沈みし恨みを為散、この大臣を取り殺さんと思ふなり。されば祈療ともに以つて不可有験。加様に云ふ者をば誰とか知る。これこそ菅丞相の変化の神、天満大自在天神よ」とぞ示し給ひける。浄蔵貴所示現の不思議に驚いて、暫く罷加持出で給ひければ、本院の大臣忽ちに薨じ給ひぬ。御息女の女御、御孫の東宮もやがて隠れさせ給ひぬ。二男八条の大将保忠同じく重病に沈み給ひけるが、験者薬師経を読む時、宮毘羅大将と打ち挙げて読みけるを、我が首切らんと云ふ声に聞き成して、則ち絶え入り給ひけり。三男敦忠中納言も早世しぬ。その人こそあらめ、子孫まで一時に亡び給ひける神罰の程こそ恐ろしけれ。
その後本院大臣(藤原時平)は病いを身に受けて長く苦しみました。浄蔵貴所(平安中期の僧。三善清行の子)を請じ加持を行わせると、大臣の左右の耳より、小青蛇が頭を差し出して、「浄蔵貴所よ、わたしは無実の讒言に沈んだ恨みを晴らすため、大臣を取り殺そうと思っておるのだ。祈療したところで有験([祈祷・祈願してその効き目があること])はないぞ。こう申す者を誰と思うか。菅丞相(菅原道真)の変化の神、天満大自在天神よ」と名乗りました。浄蔵貴所は示現([神仏が霊験を示し現すこと])の不思議に驚いて、しばらく加持を止めたので、本院大臣はたちまちに薨じました。息女の女御(藤原褒子?第五十九代宇多上皇の御息所。女御ではない)、御孫の東宮(慶頼王。第六十代醍醐天皇の皇太子。母は藤原時平の娘、藤原仁善子)もやがてお隠れになりました。次男八条大将保忠(藤原保忠。ただし長男)も同じく重病に苦しんでいましたが、験者が薬師経を読んだ時、宮毘羅大将([天竺霊鷲山の鬼神で、薬師如来十二神将の筆頭])と声を上げて読んだのを、我が首を切ると声に聞いて、たちまち気を失ってしまいました(その後、早逝)。三男敦忠中納言も早逝しました。本人(藤原時平)はさておき、子孫まで一時に亡ぶ神罰は恐ろしいものでした。
(続く)