君大きに驚き思し召して、やがて延喜の年号を延長に改めて、菅丞相流罪の宣旨を焼き捨てて、官位を元の大臣に帰し、正二位の一階を被贈けり。その後天慶九年近江の国比良の社の袮宜、神の良種に託して、大内の北野に千本の松一夜に生ひたりしかば、ここに建社壇、奉崇天満大自在天神けり。御眷属十六万八千の神なほも静まり給はざりけるにや、天徳二年より天元五年に至るまで二十五年の間に、諸司八省三度まで焼けにけり。
君(第六十代醍醐天皇)はたいそう驚かれて、やがて延喜の年号を延長に改めて、菅丞相(菅原道真)流罪の宣旨を焼き捨てて、官位を元の大臣(右大臣)に返し、正二位の階(位階)を贈られました。その後天慶九年(946)に近江国比良社の袮宜([神職の職称の一。宮司の下位])、神良種に託宣があって、大内の北野に千本の松が一夜にして生えたので、ここに社壇を建て、天満大自在天神を祭神として崇めました。けれども眷属([一族])十六万八千の神はなおも静まらなかったか、天徳二年(958。ただし、内裏が焼けたのは、天徳四年(960))より天元五年(982)に至るまで二十五年の間に、諸司八省は三度焼けました。
(続く)