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「太平記」千種殿並文観僧正奢侈の事付解脱上人の事(その5)

座定まつて後、上坐に居たる大人たいじん左右に向かつてまうしけるは、「この頃帝釈の軍に打ち勝つて手に握日月、身居須弥頂、一足に雖蹈大海、その眷属けんぞく毎日数万人すまんにん亡ぶ、ゆゑ何事ぞと見れば、南胆部州なんぜんぶしう扶桑国ふさうこく洛陽辺らくやうへん解脱房げだつばうと云ふ一人の聖出で来て、化導利生けたうりしやうする間、法威ほふゐ盛んにして天帝てんたい得力、魔障ましやう弱くして修羅失勢。所詮彼がかくてあらんほどは、我ら向天帝合戦する事叶ふまじ。いかにもして彼が醒道心、可着驕慢けうまん懈怠心」まうしければ、兜の真つかうに、第六天の魔王と金字こんじに銘を打つたる者座中に進み出で、「彼の醒道心候はん事は、可輒るにて候ふ。先ず後鳥羽のゐんに滅武家思し召す心を奉着、被攻六波羅、左京さきやうごん大夫だいぶ義時よしとき定めて向官軍くわんぐん可致合戦。その時加力義時ば官軍敗北して、後鳥羽の院遠国をんごくへ被流給はば、義時司天下成敗治天を計らひ申さんに、必ず広瀬のゐん第二の宮を可奉即位。さるほどならば、この解脱房かの宮の有御帰依聖なれば、被召官僧奉近竜顔、可刷出仕儀則。自是行業ぎやうごふは日々に怠り、驕慢は時々に増して、破戒無慚はかいむざん比丘びくと成らんずる条、不可有子細、かくてぞ我らも若干そくばく眷属けんぞくを可設候」と申しければ、二行に並居なみゐたる悪魔外道けだうども、「この儀尤可然思え候ふ」と同じて各々東西に飛び去りにけり。




座が定まった後、上座に座っていた大人が左右に向かって申すには、「帝釈(帝釈天。仏教の守護神である天部の一)との軍に打ち勝って手に日月を握り、身は須弥山([古代インドの世界観の中で中心にそびえる山])の頂にあって、一足に大海を踏むといえども、眷属([一族])が毎日数万人亡んでおる、なぜかと見れば、南胆部州扶桑国([日本国])の洛陽(京)辺に解脱房という一人の聖があって、化導利生([衆生を教え導き、利益りやくを与えること])しておるのだ、法威盛んにして天帝(帝釈天)は力を得て、魔障は弱くなって修羅(阿修羅。もともと天界の神であったが、天界から追われて修羅界を形成したという)は勢いを失っておる。所詮やつがいる限り、我らが天帝と合戦したところで勝ち目はない。どうにかしてやつの道心を醒まし、驕慢([驕り高ぶって人を見下し、勝手なことをすること])懈怠([仏道修行に励まないこと。怠りなまけること])の心を付けてやいたいのだ」と申すと、兜の真っ向に、第六天魔王([第六天魔王波旬はじゆん]=[仏道修行を妨げている魔])と金字で銘を打った者が座中に進み出て、「やつの道心を醒ますことなど、容易いことでございます。まず後鳥羽院(第八十二代天皇)に滅武家を滅ぼそうとする心を付けて、六波羅を攻めさせれば、左京権大夫義時(鎌倉幕府第二代執権、北条義時)は必ずや官軍と合戦するでしょう。その時義時に力を加えれば官軍は敗北して、後鳥羽院は遠国に流されましょう、義時は天下を成敗するためようとして、広瀬院(第八十代高倉天皇の第二皇子、守貞もりさだ親王。後高倉院)の第二の宮(茂仁とよひと親王。ただし、第三皇子)を即位させます。そうすれば、この解脱房はかの宮の帰依聖ですから、官僧となって竜顔に近習し、出仕しすなわち儀を行います。自ら行業は日々に怠り、驕慢は時々に増して、破戒無慚([戒律を破っているのに、それを恥と思っていないこと])の比丘([仏教に帰依して,具足戒を受けた成人男子])となることは、間違いありません、我ら若干の眷属も無事となりましょう」と申したので、二列に並居る悪魔外道どもも、「もっともなことに思われます」と同じて各々東西に飛び去りました。


続く


by santalab | 2017-04-19 08:46 | 太平記

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