座定まつて後、上坐に居たる大人左右に向かつて申しけるは、「この頃帝釈の軍に打ち勝つて手に握日月、身居須弥頂、一足に雖蹈大海、その眷属毎日数万人亡ぶ、故何事ぞと見れば、南胆部州扶桑国の洛陽辺に解脱房と云ふ一人の聖出で来て、化導利生する間、法威盛んにして天帝得力、魔障弱くして修羅失勢。所詮彼がかくてあらんほどは、我ら向天帝合戦する事叶ふまじ。いかにもして彼が醒道心、可着驕慢懈怠心」申しければ、兜の真つ向に、第六天の魔王と金字に銘を打つたる者座中に進み出で、「彼の醒道心候はん事は、可輒るにて候ふ。先ず後鳥羽の院に滅武家思し召す心を奉着、被攻六波羅、左京の権の大夫義時定めて向官軍可致合戦。その時加力義時ば官軍敗北して、後鳥羽の院遠国へ被流給はば、義時司天下成敗治天を計らひ申さんに、必ず広瀬の院第二の宮を可奉即位。さるほどならば、この解脱房かの宮の有御帰依聖なれば、被召官僧奉近竜顔、可刷出仕儀則。自是行業は日々に怠り、驕慢は時々に増して、破戒無慚の比丘と成らんずる条、不可有子細、かくてぞ我らも若干の眷属を可設候」と申しければ、二行に並居たる悪魔外道ども、「この儀尤可然思え候ふ」と同じて各々東西に飛び去りにけり。
座が定まった後、上座に座っていた大人が左右に向かって申すには、「帝釈(帝釈天。仏教の守護神である天部の一)との軍に打ち勝って手に日月を握り、身は須弥山([古代インドの世界観の中で中心にそびえる山])の頂にあって、一足に大海を踏むといえども、眷属([一族])が毎日数万人亡んでおる、なぜかと見れば、南胆部州扶桑国([日本国])の洛陽(京)辺に解脱房という一人の聖があって、化導利生([衆生を教え導き、利益を与えること])しておるのだ、法威盛んにして天帝(帝釈天)は力を得て、魔障は弱くなって修羅(阿修羅。もともと天界の神であったが、天界から追われて修羅界を形成したという)は勢いを失っておる。所詮やつがいる限り、我らが天帝と合戦したところで勝ち目はない。どうにかしてやつの道心を醒まし、驕慢([驕り高ぶって人を見下し、勝手なことをすること])懈怠([仏道修行に励まないこと。怠りなまけること])の心を付けてやいたいのだ」と申すと、兜の真っ向に、第六天魔王([第六天魔王波旬]=[仏道修行を妨げている魔])と金字で銘を打った者が座中に進み出て、「やつの道心を醒ますことなど、容易いことでございます。まず後鳥羽院(第八十二代天皇)に滅武家を滅ぼそうとする心を付けて、六波羅を攻めさせれば、左京権大夫義時(鎌倉幕府第二代執権、北条義時)は必ずや官軍と合戦するでしょう。その時義時に力を加えれば官軍は敗北して、後鳥羽院は遠国に流されましょう、義時は天下を成敗するためようとして、広瀬院(第八十代高倉天皇の第二皇子、守貞親王。後高倉院)の第二の宮(茂仁親王。ただし、第三皇子)を即位させます。そうすれば、この解脱房はかの宮の帰依聖ですから、官僧となって竜顔に近習し、出仕しすなわち儀を行います。自ら行業は日々に怠り、驕慢は時々に増して、破戒無慚([戒律を破っているのに、それを恥と思っていないこと])の比丘([仏教に帰依して,具足戒を受けた成人男子])となることは、間違いありません、我ら若干の眷属も無事となりましょう」と申したので、二列に並居る悪魔外道どもも、「もっともなことに思われます」と同じて各々東西に飛び去りました。
(続く)