三番に饗庭の命鶴生年十八歳、容貌当代無双の児なるが、今日花一揆の大将なれば、殊更花を折つて出で立ち、花一揆六千余騎が真つ前に懸け出でたり。新田武蔵の守これを見て、「花一揆を散らさん為に児玉党を向かはせ、打ち輪の旗は風を含める物なり」とて、児玉党七千余騎を差し向けらる。花一揆皆若武者なれば思慮もなく敵に懸かりて、一戦ひ戦ふとぞ見へし。児玉党七千余騎に被揉立、一返しも返さずはつと引く。自余の一揆は、駆くる時は一手に成つて懸かり、引く時は左右へ颯と別れて、荒手を入れ替へさすればこそ、後陣は騒がで懸け違ひたれ。
三番に饗庭命鶴(饗庭氏直)は生年十八歳、容貌当代無双の稚児でしたが、今日の花一揆の大将でしたので、殊更花を折って出で立ち、花一揆六千余騎が真つ先に駆け出でました。新田武蔵守(新田義宗。新田義貞の三男)はこれを見て、「花一揆を蹴散らすために児玉党([武蔵七党の一])を向かわせよう、団扇の旗(児玉党の紋は、軍配団扇紋)は風を起こすものよ」と申して、児玉党七千余騎を差し向けました。花一揆は皆若武者でしたので思慮もなく敵に懸かって、戦うように見えました。児玉党七千余騎に攻め立てられて、一返しも返さずぱっと引きました。自余の一揆は、駆ける時は一手になって懸かり、引く時には左右へさっと別れて、入れ替わりに、後陣がさっと駆け違いました。
(続く)