細河相摸の守清氏、これほど御方の打ち負けたるを見ながら、些しも機を不屈、なほ勇み進んでぞ見へたりける。吉良・石堂・原・蜂屋・宇都宮民部の少輔・海東・和田・楠木、皆荒手なれば細河と懸かり合つて、鴨川を西へ追ひ渡し、真如堂の前を東へ追つ立て、時移るまでぞ戦ひたる。千騎が一騎に成るまでも引かじとこそ戦ひけれども、将軍の陣散け靡いて後ろの御方相遠に成りければ、細河遂に打ち負けて四明の峯へ引き上がる。
細川相摸守清氏(細川清氏)は、これほどに味方が打ち負けたのを見ながら、少しも気落ちせず、なおも勇み進むように見えました。吉良(吉良満貞)・石塔(石塔義房)・原・蜂屋・宇都宮民部少輔・海東・和田(和田正武)・楠木(楠木正儀。楠木正成の三男)は、皆新手でしたので細川(清氏)と懸かり合って、鴨川を西へ追い渡し、真如堂(現京都市左京区にある真正極楽寺)の前を東へ追い立て、時が移るまで戦いました。千騎が一騎になろうとも引くまいと戦いましたが、将軍(足利尊氏)の陣が散り散りになって後ろの味方が離れてしまったので、細川(清氏)は遂に打ち負けて四明峯(四明嶽=比叡山)に引き上りました。
(続く)