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Santa Lab's Blog


2015年 06月 18日 ( 4 )



「曽我物語」五朗が情け懸けし女出家の事(その3)

源太げんだ左衛門さゑもん景季かげすゑは、この事を聞きて、本よりこのをんなの心様、尋常じんじやうにして、歌の道にもやさし。今は、曽我の五朗ごらうこそかたきなれ。行き遭はん所にて、本意を達せんと思ひければ、さてこそ、平塚ひらつかの宿までは追ひたりけれ。その時、景季いきほひ、また並ぶ人やあるべきなりしかども、富士野裾野にては、まことにをとこがましくも見えざりしぞかし。然れば、「人は世にありとも、よくよく思慮あるべきものを」とて、皆人みなひとまうし合はれけり。五朗も、この事を伝へ聞きて、やさしくも、また心許なくもぞ思ひける。これに依りて、いよいよ身を身とも、世を世とも知らで、思ふ事のみ急ぎけるは、ことわり過ぎてぞ、あはれなる。




源太左衛門景季(梶原景季)は、この事を聞いて、本よりこの女は情けに、優れて、歌の道にも通じていた。今は、曽我五朗(曽我時致ときむね)こそ敵である。行き遭う所で、本意を遂げようと、思えばこそ、平塚の宿(現神奈川県平塚市)まで追い駆けたのでした。その時の、景季の勢いは、ほかに並ぶ人があるとも思えませんでしたが、富士野裾野での振る舞いは、男らしくは思えませんでした。ならば、「人は世にあっても、よくよく思慮あるべきものを」と、皆人は申し合いました。五朗(時致)もまた、女の出家を伝え聞いて、健気ながら、心許なく思いました。これにより、ますます身を身とも、世を世とも思わず、望みのみ急がれるのでした、道理を過ぎて、哀れなことでした。


続く


by santalab | 2015-06-18 12:33 | 曽我物語


「曽我物語」五朗が情け懸けし女出家の事(その2)

まことや、「天人のいんせざるところは、禍ひありて、しかも禍なし」と、東方朔とうばうさくが言葉、思ひ知られて、しかるべき善知識ぜんぢしきたづね、生年しやうねん十六歳さいまうすに出家して、諸国を修行しゆぎやうして、後には、大磯おほいその虎が住みかを尋ね、道心にぎやうして、いづれも八十余にして、往生わうじやう素懐そくわいを遂げにけり。あり難かりし心ざしとぞ聞きし。




まこと、「天人が婬せざるは、禍の元となるが、災いではない」との、東方朔(前漢の文学者)の言葉が、思い知られて、しかるべき善知識([仏教の正しい道理を教え、利益を与えて導いてくれる人])を尋ね、生年十六歳と申すに出家して、諸国を修行し、後には、大磯の虎御前の住みかを訪ね、道心に任せ行して、いずれも八十余にして、往生の素懐を遂げました。ありがたい心ざしだと聞いています。


続く


by santalab | 2015-06-18 12:27 | 曽我物語


「曽我物語」五朗が情け懸けし女出家の事(その1)

貞女ていぢよ両夫りやうふに見えずとは、このをんなの事なり。「如何なる貞女か、二人の夫に見えし、如何なる身にてか、引く手数多あまたに生まれつらん。さらぬだに、我ら風情の者は、欲心に住まひすると、言ひ習はせり。『士は己を知る者の為に、かたちを繕ふ』と、文選もんぜんの言葉なるをや。我また、甲斐甲斐かひがひしくなければ、景季かげすゑがまことの妻女さいぢよに成るべき身にてもなし、来世こそつひの住みかなれ。そのうへ、歌には、神も仏も納受なふじゆし、慈悲を垂れ給ふ。然れば、花に鳴く鴬、みづに住むかはづだにも、歌をば詠むぞかし。いはんや、人として、如何でかこれを恥ぢざるべき」とて、この歌を詠みて、

数ならぬ 心の山の 高ければ 奥の深きを 尋ねこそ入れ

捨つる身に なほ思ひ出でと 成るものは 問ふに問はれぬ 情けなりけり




貞女両夫に見えずとは、この女のことでした。「貞女は、二人の夫に見えないものですが、どうしてこのわたしが、引く手数多の身として生まれたのでしょう。言うまでもなく、我ら風情の者は、欲心から離れなれないものだと、聞きます。『武士は己を知る者に命をかけ、女は言い寄る者のために外見を繕う』とは、文選([中国の六朝の梁代に編まれた詞華集])の言葉でしたか。わたしもまた、景季(梶原景季)を頼りにしているわけではありません。景季の妻になれる身でもなし、来世([死後、生まれかわって住む世])こそが終の住みか([最後に安住する所])となるでしょう。その上、歌には、神も仏も納受([神仏などが人の願いを聞き入れること])し、慈悲を垂れてくださいます。だからこそ、花に鳴く鴬、水に住む蛙でさえも、歌を詠むのです。申すまでもなく、人として、どうして恥じることがありましょう」と、この歌を詠みました、

数ならぬ我が身ですが、心ざしは山のように高く、奥山深く悟りを求めて入ることにいたしましょう。

憂き世を捨てる我が身の思い出となるものは、訊ねたくても叶わない、あの人の情けなのです。


続く


by santalab | 2015-06-18 12:20 | 曽我物語


「曽我物語」頼朝謀反の事(その2)

また、仏餉ぶつしやう田苑でんおんを止め、神明の国郡を覆し、我がてう六十余州よしうの内、三十余国は、かの一族りやうす。また、三公九卿きうけいくらゐ月卿げつけい雲客うんかく官職くわんしよく、大略この一門塞ぐ。斯様かやうの奢りの余りにや、さしたるとがもなきに、臣下卿相、おほ罪科ざいくわに行ひ、あまつさへ、法皇ほふわうを鳥羽殿に押し込め奉り、天下てんがを我がままにする。




また、仏餉の田苑([仏に供える米飯を取る田])を取り上げ、神明の国郡を覆し、我が朝六十余州の内、三十余国を、平家一族が領有しました。また、三公九卿([三公と九卿。太政大臣以下の朝廷の高位の人々])の位、月卿雲客([公卿と殿上人])の官職の、ほとんどを平家一門が占めました。こうして奢り余ってか、大した罪もなく、臣下卿相の、多くを罪科に問い、その上、法皇(第七十七代後白河院)を鳥羽殿(現京都市伏見区鳥羽にあった白河・鳥羽上皇の離宮)に押し込め、天下を思うままにしました。


続く


by santalab | 2015-06-18 09:46 | 曽我物語

    
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