Santa Lab's Blog


2017年 04月 26日 ( 2 )



「太平記」武蔵野合戦の事(その3)

五陣は仁木左京大夫頼章よりあきら・舎弟越後ゑちごかみ義長よしなが・三男修理しゆりすけ義氏よしうぢ、その勢三千余騎、笠符をも不著、旌をも不差、遥かの外に引き退けて、馬より下りてぞ居たりける。これは両方大勢の合戦なれば、十度じふど二十度懸け合ひ懸け合ひ戦はんに、敵も御方も気をくつし、力疲れぬ事不可有。その時荒手に代はりて、敵の大将の控へたらんずる所を見澄まして、夜討ちせんが為なりけり。




五陣は仁木左京大夫頼章(仁木頼章)・舎弟越後守義長(仁木義長)・三男修理亮義氏(仁木義氏)が、その勢三千余騎で、笠符も付けず、旗をも差さず、遥か外に引き退けて、馬から下りて控えました。これは両方大勢の合戦でしたので、十度二十度駆け合って戦えば、敵も味方も、戦い疲れるであろうと思ってのことでした。その時新手に代わって、敵の大将が控える所を見澄まして、夜討ちにするためでした。


続く


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by santalab | 2017-04-26 08:06 | 太平記


「太平記」神泉苑の事(その6)

代々の御門崇之家々の賢臣敬之。もし旱魃かんばつ起こる時は先づ池を浄む。然るを後鳥羽の法皇ほふわうり居させ給ひて後、建保けんほうの頃よりこの所すたれ、荊棘けいぎよく路を閉づるのみならず、猪鹿ちよろくの害蛇放たれ、流鏑かぶらの音驚護法聴、飛蹄ひていの響き騒冥衆心。有心人不恐歎云ふ事なし。承久しようきうの乱の後、故武州禅門ごぶしうぜんもんひそかに悲此事、高築垣堅門被止雑穢。その後涼燠りやういくしばしば改まつて門牆もんしやうやうやく不全。不浄汚穢ふじやうわゑの男女出入無制止、牛馬水草を求むる往来わうらい無憚。定めて知んぬ竜神不快か。早く加修理可崇重給。崇此所国土可治なり。




代々の帝家々の賢臣が神泉苑(現京都市中京区にある寺院)を崇めました。旱魃が起これば池を浄めました。けれども後鳥羽法皇(第八十二代天皇)が位を下りられた後、建保(第八十四代順徳天皇の御宇)の頃より廃れて、荊棘が路を閉じるのみならず、猪鹿害蛇が放たれ、流鏑矢の音は護法([護法善神]=[仏法を守護する鬼神])の耳を驚かせ、蹄の響きは天まで響き冥衆([閻魔王や梵天など、人の目に見えない鬼神や諸天])の心を騒がせました。心ある人は恐れ嘆かぬ者はいませんでした。承久の乱(1221)の後、故武州禅門(鎌倉幕府第二代執権、北条泰時やすとき)は密かにこれを悲しんで、高い築垣([土塀])で門を閉じ雑穢([様々な穢れ])を防ぎました。その後涼燠(年号)はしばしば改まって門牆([門と垣])は崩れました。不浄汚穢の男女が出入りし、牛馬が水草を求めて往来を憚ることはありませんでした。きっと竜神は不快に思われておられることでしょう。ただちに修理を加え厚く敬うことにしました。必ずや国土が治まる基となることでしょう。


続く


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by santalab | 2017-04-26 07:58 | 太平記

    

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