Santa Lab's Blog


2017年 04月 29日 ( 2 )



「太平記」武蔵野合戦の事(その5)

二番に脇屋左衛門さゑもんすけが二万余騎と、白旗一揆が二万七千余騎と、東西より相懸あひがかりに懸かつて、一所にさつと入り乱れ、火を散らして戦ふに、汗馬かんばの馳せ違ふ音、太刀の鐔音つばおと、天に光り地に響く。あるひは引つ組んで首を取るもあり被取もあり、あるひは弓手馬手ゆんでめてに相付きて、切つて落とすもあり被落もあり。血は馬蹄に被蹴懸紅葉もみぢそそく雨の如く、かばね野径やけいに横たはつて尺寸せきすんの地も不余。追ひ靡け懸け立てられ、七八度がほど戦つて東西へさつと別れたれば、敵御方に討たるる者また五百人に及べり。




二番に脇屋左衛門佐(脇屋義治よしはる。新田義貞の弟、脇屋義助よしすけの子)の二万余騎と、白旗一揆の二万七千余騎が、東西より相懸かりに懸かって、一所にさっと入り乱れ、火を散らして戦いました、汗馬の馳せ違う音、太刀の鐔音が、天に光り地に響きました。あるいは引っ組んで首を取るもあり取られるもあり、あるいは弓手馬手([左右])に付いて、斬って落とす者もあり落とされる者もありました。血は馬蹄に蹴り駆けられて紅葉に降る雨の如く、屍は野径([野路])に横たわって尺寸の地も残しませんでした。追い靡け駆け立てられ、七八度ほど戦って東西へさっと別れると、敵味方に討たれる者は五百人に及びました。


続く


[PR]
by santalab | 2017-04-29 08:52 | 太平記


「太平記」北山殿謀反の事(その3)

如此諸方の相図あひづを同時に定めて後、西のきやうより番匠ばんじやう数多あまた召し寄せて、俄かに温殿ゆどのをぞ被作ける。その襄がり場に板を一間蹈めば落つるやうに構へて、その下に刀のひしを被殖たり。これは主上しゆしやう御遊ぎよいうの為に臨幸りんかう成りたらんずる時、華清宮くわせいきゆう温泉をんせんなぞらへて、浴室の宴を勧めまうして、君をこの下へ陥とし入れ奉らん為のくはだてなり。加様かやうに様々のはかりことを定めつはものを調へて、「北山の紅葉もみぢ御覧の為に臨幸成り候へ」と被申ければ、すなはち日を被定、行幸ぎやうがう儀則ぎそくをぞ被調ける。




こうして諸方の相図を同時に定めた後、西ノ京(現京都市中京区)より番匠([中世日本において木造建築に関わった建築工])を数多く召し寄せて、急ぎ温殿を作らせました。その上がり場に板を一間踏めば落ちるように施して、その下に刀の菱([武器の一。鉄製で菱の実形に作り、先端をとがらせたもの])を植えてありました。これは主上(第九十六代後醍醐天皇)が御遊のために臨幸になられる時、華清宮(長安=現西安市の東北に、唐代に造られた離宮。『長恨歌』において、楊貴妃が湯浴みしたことで知られる)の温泉に準えて、浴室の宴を勧め申して、君をこの下へ落とし入れるための企てでした。こうして様々の謀を定め兵を揃えて、「北山の紅葉をご覧のために臨幸なされませ」と申せば、たちまち日を定められて、行幸の儀則([儀式])を調えられました。


続く


[PR]
by santalab | 2017-04-29 08:47 | 太平記

    

Santa Lab's Blog
by santalab
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧