やや暫くあつて、大納言殿泪を押さへてのたまひけるは、「我が身かく引く人もなき捨て小舟の如く、深き罪に沈みぬるに付いても、ただならぬ御事とやらん承りしかば、我故の物思ひに、如何なる煩はしき御心地かあらんずらんと、それさへ後の闇路の迷ひと成りぬべう思えてこそ候へ。もしそれ男子にても候はば、行く末の事思ひ捨て給はで、哀れみの懐の中に人となし給ふべし。我が家に伝ふる所の物なれば、見ざりし親の忘れ形見ともなし給へ」とて、上原・石上・流泉・啄木の秘曲を被書たる琵琶の譜を一帖、膚の護りより取り出だし給ひて、北の方に手づから被渡けるが、側なる硯を引き寄せて、上巻の紙に一首の歌を書き給ふ。
哀れなり 日影待つ間の 露の身に 思ひをかるる 石竹の花
ややしばらくあって、大納言殿(西園寺公宗)は涙を抑えて申すには、「我が身がこのように曳く人もなき捨て小舟のように、深き罪に沈むに付けても、ただならぬ([妊娠した様子である])と聞いておれば、わたし故の悲しみに、どれほどつらい思いをしておろうかと考えると、それさえ後の闇路の迷いとなるであろうと思っておるのだ。もし男子であったなら、行く末の望みを捨てることなく、憐れみの懐の内に人となしてくれ。我が家に伝わる物なれば、見ざりし親の忘れ形見ともなされよ」と申して、上玄・石上・流泉・啄木の秘曲を書いた琵琶の譜を一帖、肌の守りより取り出して、北の方に渡しました、側の硯を引き寄せて、上巻([巻子や書状を上から包む白い紙。表巻])の紙に一首の歌を書きました。
憐れなことか。陽の光に消えてしまう露の身に、心配されたところでどうにのならぬこと。(『山がつの 垣ほ荒るとも をりをりに あはれはかけよ 撫子の露』=[賎しき我が家の垣は荒れるとも、折に付け、撫子に露が置くようにこの子をかわいがってくださいませ]。『源氏物語』)
(続く)