Santa Lab's Blog


2017年 05月 26日 ( 2 )



「太平記」八幡合戦事付官軍夜討の事(その4)

また赤松律師則祐そくいうは、吉野殿より宮を一人まうし下しまゐらせて、今までは宮方を仕る由にてありけるが、これもいかが思案したりけん。宮方を背きて京都へ馳せ来たりければ、宰相さいしやう中将殿ちゆうじやうどのりようの水を得、虎の山によりかかるが如くに成つて、いきほ京畿けいきおほへり。




また赤松律師則祐(赤松則祐のりすけ)は、吉野殿(第九十七代後村上天皇)より宮(護良もりよし親王の王子、興良おきよし親王)を一人申し下し参らせて、今までは宮方に付いていましたが、これも何を思ったか。宮方に背いて京都へ馳せ参ったので、宰相中将殿(足利義詮よしあきら。足利尊氏の嫡男)は龍が水を得、虎が山を頼りにするが如くになって、勢いは京畿に及びました。


続く


[PR]
by santalab | 2017-05-26 06:49 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」足利殿東国下向の事付時行滅亡の事(その2)

これによつて諸卿議奏あつて、急ぎ足利宰相高氏たかうぢきやうを討つ手に可被下に定まりけり。すなはち勅使を以つて、この由を被仰下ければ、相公しやうこう勅使に対して被申けるは、「去んぬる元弘の乱の始め、高氏御方に参ぜしに依つて、天下の士卒皆官軍くわんぐんしよくして、勝つ事を一時に決しさふらひき。しかれば今一統の御代、偏へに高氏が武功と可云。そもそも征夷将軍の任は、代々源平のともがら功に依つて、そのくらゐきよする例不可勝計。この一事殊に為朝為家、望み深きところなり。次には乱をしづを致す以謀、士卒有功時節をりふしに、賞を行ふにしくはなし。もし註進を経て、軍勢の忠否ちゆうびを奏聞せば、挙達道遠くして、忠戦の輩勇みを不可成。然れば暫くとう八箇国の官領くわんれいを被許、ぢきに軍勢の恩賞を執り行ふやうに、勅裁を被成下、夜を日に継いで罷り下つて、朝敵てうてき退治たいぢ仕るべきにて候ふ。もしこの両条勅許をかうむらずんば、関東くわんとう征罰の事、可被仰付他人候ふ」とぞ被申ける。




これによって諸卿の議奏があり、急ぎ足利宰相高氏卿(足利高氏)を討っ手に下すことが決まりました。たちまち勅使をもって、この由を仰せ下すと、相公(足利高氏)が勅使に対して申すには、「去る元弘の乱の始め、この高氏が味方に参ることにより、天下の士卒は皆官軍に属して、勝つことを一時に決することができたのです。なれば今一統の時代も、ひとえにこの高氏の武功ではありませんか。そもそも征夷将軍の任は、代々源平の輩が功に依って、その位に就く例数知れません。この一事はとりわけ朝のため家のため、望み深いものです。次に乱を鎮め治を致す企てをなしたのは、士卒の功によるものです、これに対して賞に及ぶものはありません。注進([事件を書き記して上申すること])を経て、軍勢の忠否を奏聞するようなことあらば、挙達([推挙されて出世すること])の道は遠く、忠戦の輩はたちまち勇みをなくすことでしょう。ならばしばらく我に東八箇国の官領([長官])を許されて、我自ら軍勢の恩賞を執り行えるよう、勅裁を下されれば、たちまち夜を日に継いで罷り下り、朝敵を退治する所存でございます。もしこの願いに勅許を下されないならば、関東征罰は、他の人に命じられますよう」と申しました。


続く


[PR]
by santalab | 2017-05-26 06:45 | 太平記 | Comments(0)

    

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧