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カテゴリ:落窪物語( 80 )



「落窪物語」巻四(その54)

そち見て、「いと多くの物どもなりや。いとかくしも賜はでありなむものぞ」と言ふ。御使ひどもに物被く。四の君「さらに聞こえさせむ方はくて。

白雲の 立つ空もなく かなしきは わかれゆくべき 方もおぼえず

賜はせたる物どもを、人々見るもうれしく、いみじうもの騒がしうて」となむある。娘の君の御返り、「これよりも、近きほどにだに聞こえさせむと思ひ給ふるほどになむ。遅れぬ者は、ここにも。
身をわけて 君にし添ふる ものならば ゆくもとまるも 思はざらまし」

となむありける。




帥(四の君の夫)は左大臣殿の北の方からの贈り物を見て、「たいそう多く贈り物をいただいた。これほどいただくとは思わなかった」と言いました。帥は使いの者に褒美を与えました。四の君は「何とお礼を言ってよいものか。

わたしは白雲が立つ、遠い国へと旅立ちますが、ただただ別れが悲しくて、旅立つ方も、涙で見えません。

いただいた物を、皆が見るだけでうれしくて、皆口々に誉めてくれますので」と書いてありました。四の君の娘からも落窪の君へ返事がありました、「北の方が、お近くにおられる間に文を出そうと思っておりました。お別れすることを悲しむ者が、ここにもおります。
もし我が身を分けて、片身が北の方と一緒にいられるとしたら、母上に付いて行こうか留まろうかと、悩むこともなかったでしょう」

と書いてありました。


続く


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by santalab | 2013-09-13 07:14 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その53)

つとめて、御文あり。「昨夜は、ほど経む年の積りを取り添へて聞こえむと思ひ給へしを、夜短き心地して。はかなき身を知らぬこそ、あはれに思ひ給ふれ。

はるばると 峰の白雲 たちのきて また帰りあはむ ほどのはるけさ

まことに、道のほど見給へ」とて、蒔絵の御衣櫃きぬびつよろひに、片つ方には被け物一くだりに袴具しつつ、今片つ方には、正身さうじみの御装束三領、色々の織物うち重なりたり。上には、唐櫃の大きさに満ちたる幣袋ぬさぶくろ、中に扇百入れて、うち覆ひ給へり。また、小さき衣箱一よろひあり。この御娘にこせ給へるなるべし。片つ方には、御装束一具ひ、片つ方には、黄金の箱に白粉おしろい入れて据ゑ、小さき御櫛の箱入れたり。くはしく書くべけれど、むつかし。姫君の御文には、「今日のみと聞き侍れば、『何心地せむ』となむ。
惜しめども しひてゆくだに あるものを わが心さへ などかおくれぬ」

とあり。




翌朝左大臣殿の北の方(落窪の君)より、文が届きました。「昨夜は、数年来積もったすべてを話そうと思っていましたので、夜が短く思えました。はかなく時が過ぎてしまうことを知らない我が身を、哀れに思います。

遠くの峰の白雲が、晴れて、あなたが大宰府から戻って再会できることを楽しみにしております。あなたと遠く離れてしまうことが悲しい。

本当の気持ちです、道中でご覧になって」と書いてありました、蒔絵の衣櫃([衣装箱])一揃えの、片方には被け物([贈り物。着物])に袴を付けて、もう片方には、正身(四の君本人)の装束が三揃えと、色とりどりの織物が重ねて入っていました。衣櫃の上には、唐櫃があって大きさいっぱいの幣袋([道中の安全を祈るため、道祖神に捧げる幣を入れてたずさえた袋])の、中に扇を百本入れて、ありました。また、小さな衣箱が一揃えありました。四の君の娘に贈ったものでした。片方には、装束一揃え、もう片方には、黄金の箱に白粉が入っていて、小さい櫛箱もありました。詳しく書くところですが、書くことができません。四の君の姫君に宛てた文には、「都にいるのは今日だけと聞いています、『あなたと別れる時はどんな気持ちになるでしょう』と思っています。
あなたとの別れを惜しんでみても、あなたは母上(四の君)と一緒に行ってしまうのですね。わたしの気持ちばかりが、ここに残るばかりです」

と書いてありました。


続く


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by santalab | 2013-09-12 07:16 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その52)

明後日あさて下り給ふとて「左の大臣おとどに対面し奉りでは、いかでか」とて、参り給ふ。車の多からむ、所しとて、三つばかりしてなむ、そち、渡しける。北の方、対面して、聞こえ給へる事どもは、書かず、思ひ遣るべし。誰も誰も、御供に下る人々に、北の方、いとよくしたる扇二十、貝りたる櫛、蒔絵の箱に白粉おしろい入れて、ここの人の語らひにけるして、「形見に見給へ」とて取らす。御達ごたちも、いと思ふやうに心ばせありて人に思はるると、うれしくも思ゆる、人もめでたういみじと思ひて、各々語らひ契りて、帰りて、「この殿をよしと思へれど、かの殿を見つれば、儀式より始めて、気配けはひ異に見侍るに、心こそ移りぬれ。合はせ仕うまつらばや」と、忍びつつ言ひ合へり。




帥(四の君の夫)は明後日大宰府に下るので「左大臣殿にお別れを言わずには、いられない」と言って、左大臣殿の許を訪れました。車が多くては、所狭くて迷惑になると、車三台ほどで、帥は、参りました。左大将殿の北の方(落窪の君)が、お会いになって、話されたことは、ここでは書きません。思い遣ってください。一人一人、帥の供として下る者たちに、北の方は、上等の扇を二十、貝磨り([青貝などをすって細工をしたもの])の櫛、蒔絵の箱には白粉を入れて、左大臣殿の親しい女房たちからですと、「形見にしてください」として与えました。左大臣殿の御達([宮中・貴族の家に仕える上級の女房たち])も、とても気遣いがある者だと思われたことと、うれしく思いました。帥の女房たちもうれしく思って、各々左大臣殿の女房たちと再会を約束して、帰って行きました、「左大臣殿はすばらしい所だと思っておりましたが、実際に見れば、礼儀はもとより、立ち振る舞いまでみごとなほどで、心が引かれるほどでございました。帥殿方々お仕えしたいものでございます」と、忍んで言い合いました。


続く


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by santalab | 2013-09-11 07:38 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その51)

日の近うなるままに、同胞はらからたち皆渡り集まり給ひて、今は別れ惜しみ、あはれなることをのたまふ。人々参り集まりて、「装束さうぞき華めきたるを見れば、大殿にうち次ぎ奉りては、この君ぞ、さいはひおはしましける」と言へば、「これも誰がし奉る。その御幸ひの所縁ゆかりぞかし」と口々に言ひ合へり。




四の君が帥([大宰府の長官]。四の君の夫)とともに大宰府に赴く日が近くなって、姉妹たちが皆訪ね来て集まり、別れを惜しみ、悲しくなると話していました。女たちが集まった中に、とりわけ四の君が美しい着物を着て華やかに見えたので、大殿(左大臣殿の北の方。落窪の君)に続いて、四の君が、幸せになったようですね」と言ったので、「これは誰のおかげでしょう。幸せは北の方との縁によるものに違いありません」と口々に言い合っていました。


続く


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by santalab | 2013-09-10 07:14 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その49)

かくて、いと急がし。今参りども、日に二三人参りぬ。いと華やかなり。少将、これを見るにも、左の大臣おとどをいみじう思ふ。播磨のかみは、国にて、え知らざりければ、人をなむ遣りける。「左の大臣おとどの北の方、この君に、かうかうのことし出で給へり。この月のニ十八日になむ船に乗り給ふ。その国に着き給はむ、あるじ設け給へ」と言ひたれば、守喜び思ふこと限りなし。一つ腹の我だに婿取りせむとは思ひ寄らざりつるを、この君は、なほ我らを助け給はむとて仏神のし給ふ、と思ふ。国の守りののしりて、人々着くべき設けし給ふ。この守、母にも似で、よくなつきける。




こうして、帥たち(四の君の夫)が大宰府に下ることになったので、とても忙しくなりました。今参り([新参])の女房たちが、日に二三人参りました。とても華やかでした。少将(故大納言の三男)はありがたいことと思いました。播磨守(故大納言の長男)は、任地にあって、知らなかったので、人を遣って知らせました。「左大臣の北の方(落窪の君)が、四の君に、帥([大宰府の長官])である夫を世話しました。今月二十八日に船に乗られます。あなたの国に着いたら、宴を設けてください」と言うと、播磨守はとても喜びました。一つ腹([同母])の婿取りをするとは思っていなかったのに、落窪の君は、それ以上にわたしたちを助けようする神仏のようなものだ、と思いました。国守は大騒ぎで、船が着く準備を始めました。播磨守は、母に似ず、人当たりのよい人でした。


続く


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by santalab | 2013-09-08 07:03 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その48)

母北の方見るに、そちは、いと物々しく、有様もよければ、「さ言へども、やむごとなき人のし給へることは、こよなかりけり」と喜ぶ。




四の君の母である北の方が見ると、「帥([大宰府の長官]。四の君の夫])は、とても威厳があり、姿かたちもよかったので、「そうは言っても、りっぱな方のなさることは、違いますわ」と喜びました。


続く


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by santalab | 2013-09-07 08:07 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その47)

暮れぬれば、車二つして渡り給ひぬ。四の君、いとうれしと思ひて、日頃の有様語り、娘は、この頃のほどに、いと大きに、をかしう装束さうぞきて居れば、先づ掻き撫でて、いと愛しと思ゆ。「これを、いかにしてて下らましと思ひなむ乱れ侍る。麻呂が子と知られむ、恥づかしきこと」と言へば、北の方「左の大臣おとどの上は、しかじかのたまひける。いとよきことなり。麻呂が着たる物、かの殿より賜はる」と言へば、「かくいみじくのたまひ思しける人を、などて、昔おろかに思ひ聞こえけむ。麻呂が上をなむ、中々親たちに勝りて。殿の御御器ごきをなむ一具よろひ賜へる。人々の装束、几帳きちやう、屏風より始めて、ただ思し遣れ。これ、かくしたまはざらましかば、ここの御達ごたちも、いかが見ましとなむ、うれしき」と言へば、北の方「いやいや継子の徳をなむ見る。さ知り給へれ。このあんなる子ども、努々ゆめゆめ憎み給ふな。おのが子どもよりも、愛しうし給へ。おのれは、昔憎まざらましかば、しばしにても恥を見、痛き目は見ざらまし」とのたまへば、四の君「まことに、ことわり」と言ふ。




日が暮れると、北の方(故大納言の妻)たちが車二台で左大臣殿に訪ねて来ました。四の君は、とてもよろこんで、日頃の有様を話し、四の君の娘が、この頃、とても大きくなって、美しい着物を着ていたので、一番に髪を撫でて、とても愛しいと思いました。四の君は「この子だけは、なんとしても連れて大宰府に下りたいと思って悩んでいます。あの子が面白の駒の子であることが世に知れたら、恥ずかしいので」と言うと、北の方も「左大臣殿の北の方(落窪の君)も、同じことを言っていました。とてもよいことではありませんか。わたしが着ている着物も、落窪の君よりいただいたものなのです」と言うと、四の君は「これほどまでにわたしのことを親切に思ってくださる人を、どうして、昔は嘲っていたのでしょう。あの子を思う気持ちは、わたしたち親よりも勝っています。御器([ふたつきの食器])も一揃えくださいました。わたしたちの着物、几帳([間仕切りや目隠しに使う屏障具])、屏風をはじめ、様々な物でございます。これらのものを、いただかなければ、わたしどもの御達([宮中・貴族の家に仕える上級の女房たち])たちも、わたしのことをどう思うのかと考えると、うれしく思います」と言うと、北の方は「いいえそれが継子の徳と言うものです。ここにおられる帥(四の君の夫)の子どもたちを、けして憎むようなことのないように。我が子よりも、かわいがっておやりなさい。あなたが、昔わたしが落窪の君を憎く思っていたように同じことをすれば、またわたしと同じ恥をかき、痛い目に遭うかもしれません」と申すと、四の君は「本当に、その通りです」と答えました。


続く


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by santalab | 2013-09-06 07:11 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その46)

明けぬれば、渡らむの急ぎし給ふ。すくよかなる衣のなきぞ、いといとほしき。「隠しの方にやあらむ」とのたまふ。左の大臣おとど、渡り給ふと聞きて、御衣などは、鮮やかにもあらじ、と思し寄りて、いと清げにし置きたる御衣一具よろひ、また、姫君の御料ごれうなる一領、「ちひさき人に着せ奉り給へ。旅には、あらはなることもあるものぞ」とて奉り給ふ。北の方喜ぶこと、さすが限りなし。「人は、生みたる子よりも、継子の徳をこそ見けれ。我が子七人あれど、かく細かに心知らひ顧みるやはある。物の始めにし、この子のなりの萎えたりつるを思ひつるに、限りなくもうれしくもあるかな」と、例よりも心行き喜ぶも、そち殿へ行けと計らひたるが、限りなくうれしきなりけり。




夜が明けて、北の方(故大納言の妻)は急ぎ出かける準備をしました。けれどちゃんとした着物がなくて、悲しくなりました。「隠れていましょうか」と言いました。左大臣殿の北の方(落窪の君)は、母上が移ることを聞いて、着物など、新しいものはないでしょう、と思って、とても美しい着物を一揃え、また、四の君の姫君へのために一揃え、「幼い子に着せてあげてください。出先では、人に見られることもあるでしょうから」と言って差し上げました。北の方の喜びようといったら、限りないほどでした。「人と言うのは、生んだ子よりも、継子に徳を見せなくては。わたしには子が七人ありますが、これほどに心細やかに気を使う者はいません。初めて、この子が帥(四の君の夫)に会うのに古い着物ではかわいそうだと思っていましたが、限りなくうれしいことです」と、いつになく満足して喜んだのは、帥殿を訪ねるために落窪の君が気をきかせてくれたことが、とてもうれしかったのでした。


続く


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by santalab | 2013-09-05 07:13 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その45)

母北の方の御許に来て、腹立たせ給へる恐ろしさに、ありつるやうに、かうかう、左の大臣おとどの上のたまへること、しかじか、と言ひて、「はかなきことなれど、人に劣るまじく、故あり、賢くこそのたまひしか。心さいはひある者なりける」と言ふ。北の方、行くべきことを限りなく喜びて、「げにげに。よくも思ほし寄りけるかな。三の君も、いざ給へ。夜さりにてもと思ふ」とのたまへば、「いとにはかならむ。明日などやよろしう侍らむ」と言ふ。




少将(故大納言の三男)は母である北の方(故大納言の妻)の許に来て、腹を立ててたらと恐ろしく思いながら、ありのままに、帥(四の君の夫)が申したこと、左大臣殿の北の方(落窪の君)が申したことを、しかじかと、言って、「大したことではありませんが、落窪の君が左大臣殿の妻なのは、訳あってのこと、よいことを申されました。心が美しいからです」と言いました。北の方は、帥殿に移ることを喜んで、「本当ですわ。よく考えてくれました。三の君も、いっしょに参りましょう。今夜にでもと思っています」と申すと、少将は「とても急なことですね。明日にすればどうですか」と答えました。


続く


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by santalab | 2013-09-04 07:15 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その44)

女君も同じ所におはす。「いかで物聞こえさせむ」と言へば、そち、「ここにて聞こえ給はむに」と、「敢へぬべきことならば、く入りて聞こえ給へ」と言へば、少将入りて、「しかじかなむ」と言へば、女君「げに、いかで対面せむ。ここにも、いと恋しくなむ思え給へば、いかで参り来むとなむ、昨日聞こえたりし」とのたまふ。そち「かしこへ渡り給はむ、ニ所通ひせむほどに、物しく、おのがためになむ悪しかるべきを、かたじけなくとも、ここに渡らせ給へかし。人待らばこそ慎ましくも思さめ、幼き人ばかりなむ。それを、便びんなかるべくは、離れたる方に置き侍りなむ。京に物し給ふべきほどは、げに今日、明日ばかりなり。対面なくては、いかでかは」とのたまへば、定めしもるく、「そのことをなむ、かしこにも、いといみじく嘆かるめる」と言へば、帥「やよろしう定めて、こなたに渡し奉り給へ。そち参り給はむことは、なほ悪しくなむある」と言へば、少将「さらば、かくなむ物し侍らむ」とて立てば、四の君「必ず必ず、よくそそのかし給へ」とのたまへば、「承りぬ」とて出でぬ。




少将(故大納言の三男)が帥殿を訪ねると四の君も同じ部屋にいました。帥殿に「申し上げたいことがございます」と言うと、帥殿(四の君の夫)は、「ここで聞こう」と答えて、「急ぎ申すことならば、すぐにここへ来て話せ」と言いました、少将は部屋に入って、「しかじかでございます」と言うと、四の君も「本当ですか、なんとしても母上に会いたい。わたしも、母上をとても恋しく思って、どうしても母上を訪ねたいと、昨日申したのです」と言いました。帥殿は「こちらから訪ねれば、二人で訪ねなくてはならず、煩わしくて、わたしにとって不都合なこと、かたじけないことだが、こちらに来てはもらえないか。ほかに人がいるのなら嫌だろうが、幼い子どもたちばかりだ。それでも、都合悪ければ、子どもたちを離れた所に置こう。京にいられるのは、今日、明日ばかり。母上に会わずに、大宰府には下れない」と申したので、落窪の君が話した通りに、「母もそのことを、あちらで、とても嘆いておりましょう」と言うと、帥は「早くよく計らって、こちらを訪ねていただきたい。わたしが母上の許を訪ねるのは、よろしくないでしょう」と申しました、少将は「分かりました、母に伝えましょう」と言って立ち去ろうとしたので、四の君は、「必ず必ず、母上にうまく伝えてください」と言うと、少将は「分かりました」と言って出て行きました。


続く


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by santalab | 2013-09-03 07:43 | 落窪物語 | Comments(0)

    

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