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カテゴリ:落窪物語( 80 )



「落窪物語」巻四(その33)

大人二人、童一人、御供にはありける。御娘は十一にて、いとをかしげなり。行かめほしと思ひたるを、見苦しからむとて、とどむるを、いと悲しく、うち泣かれぬ。




大人(女房)二人、女童一人を、供に付けました。四の君の娘は十一歳で、とても美しい娘でした。母に付いて行きたいと思いましたが、北の方が結婚に不都合だと、止めたので、娘はとても悲しくて、泣いていました。


続く


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by santalab | 2013-08-22 07:26 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その32)

殿に参りて、しかじかなむ、ありつることを申し給へば、北の方、四の君、のいたまひけることを、あはれがりて、「さも思すべきことなれど、世にある人は、かかるたぐひ多かなり、と思しなすべく」とのたまふ。殿、聞き給ひて、「北の方だに、さのたまはば、正身せうじみ、ものしと思すとも、ただしてむ。いとよき人なり。この月、晦日つごもりに下るべし。『同じくはく』とのたまひき。や四の君、ここに渡し給へ」と少将にのたまへば、暦取りに遣りて見給ふに、この七日いとよかりけり。何事にかさはらむ、人々の装束は、ここにし置かれたらむ設けの物して、西の対にてせむ、と思ほして、西の対しつらはれ給ふ。「四の君、早や渡り給へ」と聞こえ給へば、「早や早や」と急がし給へど、本意なきことなれば、いとうたて物憂く思えて、「今、今」と言ひて、さらに思ひも立たねば、「このことならずとも、『渡り給へ』と、あはれもあらむは、会はすまじくやあらむ。あな僻々ひがひがし」と言ひて、渡し奉りつ。




少将(故大納言の三男)が左大臣殿に戻って、これこれですと、あったことを話すと、北の方(落窪の君)は、四の君が、言ったことを、気の毒に思って、「そう思うことは当然のことですが、世にある者には、そのようなことも多くある、と思ってくれれば」と言いました。左大臣殿も、話を聞いて、「北の方が、そう申すのならば、四の君自身が、そう思おうとも、結婚させよう。とてもいい者だ。今月、末に大宰府に下ることになっておる。『結婚するなら早いうちに』と申しておったな。すぐに四の君を、ここへ連れて来るように」と少将に申したので、少将は暦を持ってこさせて見ると、七日が吉日でした。左大臣殿は今なら間に合うし、人々の装束は、この殿にあるものを使い、西の対屋([離れ])で結婚させよう、と思って、西の対屋に結婚の準備をさせました。左大臣殿の北の方(落窪の君)も「四の君を、早く左大臣殿へお連れして」と少将に言ったので、少将は四の君に「早く早く」と急がせましたが、四の君の望むところではありませんでしたので、つらく悲しくて、「今すぐ、参ります」と言ったきり、立とうともしないので、北の方も「結婚はさておき、左大臣殿が『おいでください』と、親切に申しているのです、参らないわけにはいきませんよ。意地を張るのはやめなさい」と申して、四の君を殿から出しました。


続く


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by santalab | 2013-08-21 07:24 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その31)

北の方「かうかうのことなむ、かの大臣殿ののたまふなるを、をこに人の思ほしたりし御身を、いともよきこととなむ、うれしく思ふを、いかが思す」とのたまへば、四の君、面赤めて、「いとよきことに侍るなれど、かかる身を知らぬ様にや。なでふ然ることか侍るべき。人の思せむも、且つは、かの殿の御恥ならむ。いと見苦しからむ。心憂き身なれば、尼になりなむと思へど、おはせむ限りは、例の片身に見え奉るをだに、仕うまつるに思う給へてなむ、今までだに侍る」とて泣き給ひぬれば、思ひ知り給へりけりと、あはれに、うち涙ぐみてたり。北の方「あな禍々まがまがし。なでふ尼にかなり給ふべき。しばしにても、なほ華やかなる目見給はむぞ、人も、『かくありけり』と思ふべき。おのが言に従ひ給ふと思ひて、この事し給へ」とのたまふ。少将「御返りは、いかが申さむ」と言へば、「この君は、かくなむのたまへど、ここになむ、いとうれしきことと。ただ、ともかくも御心して思さむ方にしなし給へ」とのたまへば、「を」とて立ちぬ。




北の方が四の君に「あなたに夫を世話したいと、左大臣殿が申しております、愚か者だと人に思われたあなたにとって、とてもよい話だと、うれしく思っているのよ、どうでしょう」と申すと、四の君は、顔を赤らめて、「とてもよいお話ですが、恥知らずと思われませんか。どうして結婚などできましょう。相手の方がそのように思われることでさえ、きっと、左大臣殿の恥になりましょう。そのことがとてもつらいのです。情けなく思うこの身です、尼にでもなろうと思っていますが、母上がおられる限りは、今まで通りお近くにいたいと思って、お仕えしようと思って、尼にならずにいるのです」と言って泣きました、少将(故大納言の三男)は哀れな身の上を嘆いていたのだと思って、気の毒になって、涙ぐんでいました。北の方は「ばかなことを言うものではありません。どうして尼にならなければならないの。しばらく、華やかな暮らしをすれば、相手の方も、『よかった』と思うでしょう。わたしが言う通り、結婚しなさい」と申しました。少将が「返事は、どうしましょう」と言うと、北の方は「四の君は、尼になりたいとか言っていますが、わたしの言う通り、とてもうれしいことと申してください。後は、あなたに任せます」と申すと、少将は「分かりました」と言って出て行きました。


続く


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by santalab | 2013-08-20 07:33 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その30)

つとめて、少将を北の方呼び給ひて、みそかにのたまふ、「みづから渡りて聞こえむと思へども、見差したることありてなむ。かうかうのことをのたまふ、いかなるべきことにかあらむ。『心憎くはあれど、一人ある女には、思ひのほかなることもあり。この人、いとよき人なめり。誰も誰もよろしと思ひ給へることならば、ここに迎へ奉りて、ともかくもせむ』となむのたまふめる」とのたまへば、少将「いとも賢き仰せにこそ侍るなれ。悪しきことにても、殿のしかのたまはせむは、いなび聞こえさすべきにもあらず。増して、いとめでたきことにこそ侍るなれ。かくなむと物し侍らむ」とて、親の御許に行きて、「しかじかなむのたまふ。いみじうよきことなり。いかなる人なりとも、ただ今の時の大臣ばかりの、御娘のやうにてのたまひ逢はせむを、愚かには思はじ。面白の駒に、言ふ甲斐かひなく笑はれ、そしられ給ひしも、これにて恥隠し給へと、しか思しけるなめり。年は四十余りなむある。故大殿おとどおはして、初めてし給ふとも、かばかりのも、えし給はじ。親に増さりて、あはれに、とざまかうざまに、いたくよろしうなさむと思したる、限りなくうれしきこと。はやう四の君、かの殿に参らせ給へ」とのたまへば、北の方「我なからむ後に、かくてのみあるを、後ろめたなし、ただの受領のよからむをがなとこそ思ひつるに、増して上達部にもあなり。いといとうれしきことななり。かく細かに後見る、あはれなること。女君よりは殿こそ御心ばへ哀れなれ」と言へば、「殿も北の方をいみじう思ひこ聞こえ給ふ余りの、麻呂までは来るぞと聞こえ侍る時もあり。『まろを思さば、この腹の君たちを、男も女も、思ほせ』とこそ申し給へ。いみじきさいはひおはしける。数はらぬ影政かげまさらだに、女は見まほしくなむあるを、この殿は、すべて北の方より他に女はなしと思したり。内裏に参り給ひても、后の宮の女房たち、清げなるに、たわぶれに目見入れ給はず。夜中にも暁にも、掻き辿たどりてぞ罷出給ふ。女の、夫に思はれ給ふためしには、この北の方を、し奉るべし」など言ひて、「いかがのたまふと正身さうじみに聞かせ奉り給へ」とのたまへば、「四の君、渡り給へ」と呼べば、おはしたり。




翌朝、少将(故大納言の三男)を北の方(落窪の君)が呼び出して、こそこそ話すには、「わたしの方から訪ねようとも思いましたが、人に見られたらと思ってあなたを呼び出したのです。左大臣殿が四の君に似合いの方を見つけたと申しておりました。どうでしょうか。『失礼なことですが、女が一人でいれば、思いもしなかったことも起こるかもしれません。相手の方は、とてもいい人だということです。誰かれもよい人と思っているということですので、この殿に迎えて、四の君と逢わせたい』と申しておりました」と言うと、少将は「なんともありがたいお話です。たとえ悪い話であっても、左大臣殿の申したことです、お断りするわけには参りません。ましてや、とてもいい話ではありませんか。すぐに伝えましょう」と言って、親(北の方)の許を訪ねて、「左大臣殿がこうこう申しております。とてもいい話です。大臣である方が、我が娘のように思って逢わせようと言うのです、おろそかにはできません。面白の駒(四の君の前夫)のために、ただただ笑われて、ばかにされたのも、これで恥を隠せと、思っておられるのでしょう。相手の方の年は四十余りだということです。父(故大納言)が生きておられて、四の君が初婚であったとしても、これほどの方を、婿に迎えることはできなかったでしょう。親に増さり、四の君のことを思って、あれやこれやと、とても大切に思っていただけることは、限りなくうれしいことではありませんか。すぐにでも四の君を、左大臣殿へ参らせてください」と言うと、北の方は「わたしなき後、四の君が一人になることが、心配で、受領([実際に任国に赴任して政務を執った国司の最上席の者])のよい人を夫にと思っていましたが、それにも増して上達部([公卿と殿上人])ですか。とてもうれしいことです。これほど心細やかに後見([後ろだて])をしてくださるとは、ありがたいことです。女君(落窪の君)に比べて左大臣殿はなんてやさしい方なんでしょう」と申したので、少将は「左大臣殿が女君を大切にされているからこそ、わたしたちにも恩恵があると聞いています。落窪の君は『わたしを思ってくださるのなら、北の方の兄弟姉妹たちを、
男も女も、大切にしてください』と申しています。だからこそ幸もあるというものです。数にも入らぬわたし影政でさえ、女に逢いたいと思っているのに、左大臣殿は、北の方(落窪の君)に女はいないとでも思っているようです。内裏に参っても、后宮([皇后])の女房たちは、美しいにもかかわらず、冗談にも見ることはございません。夜中でも明け方であっても、殿に帰られるのです。夫に思われる妻の手本には、この北の方に、すべきでしょう」などと言って、「なんと言うか四の君本人に聞いてください」と言ったので、北の方は「四の君、ちょっとこちらへ」と呼びました、四の君がやって来ました。


続く


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by santalab | 2013-08-19 22:00 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その29)

左の大臣おとど、いかでこの君たちによき婿取りせむと思して、見るに、然るべきがなきと思し渡るほどに、朝廷おほやけの選びにて、中納言の、筑紫のそちにて下るが、にはかに妻失せたりけるを、聞き給ひて、人がらもいとよき人なりと思しきざして、内裏に参りたりたるにも、心留めて語らひ給ひて、るべきりに、このことのすぢを、ほのめかし給ひければ、「よきことに侍るなり」と申し契りてけり。左の大臣おとど、北の方に申し給ふ、「しかじかの人をなむ、言ひ契りたる。上達部にもあり、人がらもいとよしとなむ思ふ。三の君にや逢はすべき、四の君ひや逢はすべき。いづれにか」とのたまへば、北の方、「いざ、御心に定め給へ。麻呂は四の君にとなむ思ふ。いとほしきことありしかば、思ひも直し給ふばかり」とのたまへば、「このつごもりに下りぬべかなり。くしてむ。北の方に、さのたまへ。よろしう思ひたらば、ここにて逢はせむ」とのたまへば、「文にては、いかが長々とも書かむ。みづから渡らむとすれば、所し」、「少将、播磨のもりなどにくはしくのたまへ」など聞こえ給ふ。




左大臣殿は、なんとかして君たち(三の君、四の君)によい相手を婿取りしようと思って、男たちを見ていましたが、中々よい者がいないと思っているうちに、朝廷が選んだことですが、中納言が、筑紫帥([大宰府の長官])に任命されて下ることになりましたが、突然妻を失ったのを、聞いて、性格もよい者ではないかと、内裏に参った折には、気にかけて話しをしました、よい機会に、左大臣殿が結婚のあらましを、ほのめかすと、「よいお話ですね」と申したので結婚の約束をしたのでした。左大臣は、北の方(落窪の君)に申して、「これこれの者と、結婚の約束をした。上達部([公卿と殿上人])の者でもあり、性格もとてもよい者だと思ったのだ。さて三の君と結婚させようか、それとも四の君がよいか。どちらがふさわしいだろう」と申すと、北の方は、「さあ、あなたが思うようにすればよいと思いますよ。わたしは四の君がふさわしいと思いますが。四の君にはかわいそうなことをしましたので、気持ちを変えて差し上げたいのです」と言いました、左大臣殿が、「彼は今月末にも大宰府に下ることになっている。急ぎ結婚させよう。故大納言の北の方に、そう伝えてくれ。了承があれば、この殿で二人を逢わせよう」と申すと、北の方は「文では、長々と説明しなくてはなりません。かと言って直接訪ねるのも、どうかと思います」と言いました、左大臣殿は「ならば少将(故大納言の三男)、播磨守(故大納言の長男)に詳しく話してくれ」と申しました。


続く


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by santalab | 2013-08-16 07:26 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その28)

はかなくて月日過ぎて、女君、服脱ぎ給ふ。いづれもいづれも、子ども、あひ栄ゆるほどにて、御果てのことなど、し尽し給ひけり。継母、かく子どもの喜びをしけるを、御徳と喜びければ、いとうれしとなむ思しける。




あっという間に月日は過ぎて、落窪の君は、喪服を脱ぎました。故大納言の、子どもたちは皆、栄えの程に、果て([一周忌])の法要を、尽くしました。落窪の君の継母は、子どもたちが栄えたのも、落窪の君の徳であると喜んだので、落窪の君はとてもうれしく思いました。


続く


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by santalab | 2013-08-15 07:00 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その27)

太政大臣殿、今年なむ六十になり給ひければ、左の大臣おとど、賀のこと仕うまつり給ふ。事の作法、いとめでたし。ただ思ひ遣るべし。舞は、この二所、せさせ奉り給ふ。劣らずをかしく、二所ながら舞ひ給ひければ、祖父大臣おとど涙を落してなむ見奉り給ひける。かく、奉るべきことは、過ごさず、いかめしうし給へど、御徳は、いや増さりなり。




太政大臣殿(左大臣殿の父)は、今年六十歳になったので、左大臣殿が、朝賀てうが([元日に天皇が大極殿で群臣の祝賀を受けた大礼])を執り行いました。行儀作法は、とてもすばらしいものでした。想像してください。小朝拝([公式の朝賀の後、天皇の御座所である清涼殿の東庭において行なう歳首=年の始め。の拝賀])の舞は、左大臣殿の二人の子が、舞いました。どちらも劣らず優雅で、二人舞を舞ったので、祖父である太政大臣は涙を流して見ておりました。このように、臣としてしなくてはならないことは、欠かさず、盛大に行いました、徳は、ますます増さっていきました。


続く


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by santalab | 2013-08-14 08:38 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その26)

御子生み、御袴着給ふ事どもも、隙なくて書かず。初めの男君、十にて、いと大きにおはすれば、春宮の殿上せさせ給ふ。書を読み、聡く、労々らうらうじく、心がらもいと賢ければ、若うおはしける帝におはしませば、遊び難きに召し使ひ、をかしきものに思して、「我も内裏に、いかで参らむ」と申し給へば、大殿おとどうつくしがりて、「などか今まで言はざりつる」とて、にはかに殿上せさせ給へば、父大臣おとど「いと幼く侍るものを」と申し給へど、「何か。その太郎には勝りて賢くなむある。弟優おとまさりなり」とのたまへば、父大臣笑ひ給ひぬ。内裏に参りて奏し給ふ、「これなむ、翁の限りなく愛しと思え侍る。思し召して顧みせさせ給へ。兄の童に思し増せ。つかさを得さすとも、兄に勝らむ」と、「すべて、この子を太郎にはせさせ給へ」と常にのたまひて、御名も弟太郎となむ、付け給へりける。この御妹の女君は八つにて、いみじうをかしげになむ、おはしければ、今より二つなくかしづき給ふ。その御妹も六つ、男子四つにてなむ、おはしける。また、この頃、生み給ふべし。かかるままに、愚かならず思ひ聞こえ給へる、ことわりなり。




左大臣殿の北の方は子を生み、袴着([幼児が初めて袴をつける儀式。今の七五三])の事もありましたが、書く隙(間)がないので書きません。左大臣殿の最初の子である長男は、十歳になって、とても大きくなったので、春宮([皇太子])の殿上童([公卿の子で、元服以前に作法見習いのため殿上の間に昇ることを許されて出仕した少年])に就けました。本を読み、賢く、器用で、性格もよかったので、若くいらっしゃる天皇であれば、遊べない時には呼んで、心を和ませておりました、次男が「わたしも内裏に、参りたいのです」と申したので、左大臣殿の父である太政大臣は、かわいく思って、「どうして今まで言わなかったのじゃ」と言って、急ぎ殿上させようとしました、次男の父である左大臣は「まだ幼いものを」と申しましたが、太政大臣は「何も問題ない。次男は太郎([長男])に勝るほど賢いやつじゃ。弟優り([弟や妹の方が兄や姉よりも優れていること])よ」と言ったので、左大臣殿は笑いました。太政大臣は内裏に参って奏上しました、「この子は、わたしが限りなくかわいがっている者でございます。出仕をお考えなさってくださいませ。兄である殿上童よりも賢い子です。司([階])でも兄に勝ることでしょう」と奏して、「何事にも、この子を太郎([長男])と思ってくださいませ」といつも申して、名も弟太郎と、付けました。弟太郎の妹の女君は八つで、とてもかわいい、姫君であったので、今まで他にないほどに大切に育てました。その妹に六歳の姫君、四歳の男の子が、いました。また、近々、子が生まれることでしょう。そして、左大臣殿が北の方(落窪の君)を大切にしているのも、当然のことでした。


続く


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by santalab | 2013-08-12 07:41 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その25)

「今は、いかで三、四の君によき人逢はせむと、人知れず見るに、然るべき人のなきこそ、口しけれ」とのたまひ渡る。北の方、三、四の君に、夏冬の御衣おほんぞ御物おものなど、豊かに、故殿の生きて奉り給ひしにも勝りて、いと豊かに、位の増さるままに、よろづり給ふ。心許なきことなし。




左大臣殿は北の方(落窪の君)に「今は、どうにかして三、四の君によい夫を見つけたいと、人知れず思っていたのだが、よい人がいなくて、残念に思っているのだ」とかねがね申していました。北の方は、三、四の君に、夏冬の御衣([着物])、御物([食べ物])など、たくさん、故大納言殿が生きていた頃にも勝り、とても多く、左大臣殿の位が上がるにつれ、すべてのものを取らせました。三、四の君は不安に思うことは何もありませんでした。


続く


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by santalab | 2013-08-11 07:01 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その24)

左の大臣おとどの北の方、馬のはなむけ、様々、いかめしうし給ふ。殿人なる内に、この用意限りなし。馬、鞍、調じ具して賜ひ、「かく、くはしくすることは、ここにのたまふことあればなり。かく、下りて、かぬことなく、よく仕うまつれ。愚かなりと聞かば、さらかへりて、見じ」とのたまふ。かしこまり、うれしくて、めでたき女方なりと思ひて、かうかうなむのたまふなりと、罷り出でて語る。「『よく仕うまつれ』と申し給へば、御徳にかかりたる身にこそあれ」と言へば、中の君も、いとうれしと思したり。




左大臣殿の北の方(落窪の君)は、美濃守(中の君の夫)の送別を、様々に、豪勢に執り行ないました。左大臣殿の殿人([貴族の家人])でもあり身内でもあったので、餞別の用意は限りないほどでした。馬に、鞍を、のせて与え、「こうして、格別の餞別をするのは、あなたに申すことがあるからです。国へ、下れば、何事も嫌がらず、よく国を治めてください。怠けていると聞けば、すぐに帰して、世話もしません」と言いました。美濃守はかしこまり、うれしくて、ありがたい妻の縁だと思って、左大臣殿の北の方がこのように申していたと、殿を出て中の君に話しました。美濃守は「『よく国を治めます』と北の方に申してください、徳に与ったのもお前のお陰だ」と言ったので、中の君も、とてもうれしくなりました。


続く


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by santalab | 2013-08-10 06:59 | 落窪物語 | Comments(0)

    

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