重忠、居丈高に成りて、「恐れ多き申し事にて候へども、平治の乱に、義朝討たれ給ひき。その御子として、清盛に取り込められ、すでに御命怪しく渡らせ給ひしに、池殿申されしに依つて、助かりましましぬ。その御喜びを思し召し寄り、彼らを御助け候へかし」。君御顔色変はり、事悪しく見えければ、暫く物も申されず。悪し様なり、申し過ごしぬると存じて、ただ慎んでありける。やや暫くありて、君いかが思し召しけん、御扇をさつと開き、「げにげに重忠のたまふ如く、平家の一門、頼朝に情けを懸け、助け置きて、頼朝に退治をせられぬ。その如く、彼らを助け置きて、末代に頼朝亡ぼされぬと思ゆる。されば、彼らをば、一々に斬りて、由比の浜に欠くべし」と、荒らかにこそ仰せけれ。
重忠(畠山重忠)は、身を乗り出して、「畏れ多いことではございますが、平治の乱(1159)で、義朝(源義朝。頼朝の父)が討たれました。その子として、清盛(平清盛)に捕らえられ、すでに命さえ危うくなられましたが、池殿(平時子。清盛の継室)が宥め申されて、助かったのではございませんか。その時のよろこびを思い出されて、彼らをお助けくださいませ」。君(源頼朝)は顔色を変えて、機嫌を損なうように見えて、しばらく何も申しませんでした。重忠はしまった、言い過ぎたと思って、ただ畏るばかりでした。ややしばらくして、君(頼朝)は何を思ったのか、扇<をさっと開いて、「確かに重忠の申す通り、平家の一門は、この頼朝に情けをかけ、助け置いたために、この頼朝に退治された。それと同じように、彼らを助け置けば、末代に頼朝は亡ぼされると思わぬか。ならば、彼らを、一々に斬って、由比ヶ浜で亡ぼすべきではないか」と、声を荒げて申しました。
(続く)