Santa Lab's Blog


「平家物語」戒文(その3)

されども時の大将軍たいしやうぐんにてさふらひしあひだ、責め一人いちじんすとかやまうし候ふなれば、重衡しげひら一人いちにん罪業ざいごふにこそなりさふらひぬらめと思え候ふ。今またかれこれはぢを晒すも、しかしながらその報いとのみこそ思ひ知られて候へ。今は髪を剃り、乞食こつじき頭陀づだぎやうをもして、ひとへに仏道ぶつだう修行しゆぎやうしたく候へども、かかる身に罷りなつて候へば、心に心をも任せ候はず。いかなる行をしゆしても、一業いちごふ助かるべしとも思えぬことこそ口しう候へ。つらつら一生いつしやうの所業を案ずるに、罪業は須弥しゆみよりも高く、善根ぜんごん微塵みぢんばかりもたくはへなし。かくて命空しうはり候ひなば、火血刀くわけつたう苦果くくわ、敢へて疑ひなし。願はくは、上人しやうにん慈悲を起こし、あはれみを垂れ給ひて、かかる悪人の助かりぬべき方法ほうぼふ候はば、示し給へ」と申されければ、上人涙にむせびうつ伏して、しばしはとかうのことものたまはず。




けれども大将軍でしたので、責めは一人に与えられると申しますから、わたし重衡(平重衡。平清盛の五男)一人の罪業([罪となる悪い行い])になるものと覚悟しております。今またあちこちで恥を晒すのも、その報いと思い知らされているのです。今は髪を剃り、乞食となり頭陀の行([僧が修行のために托鉢して歩くこと])もして、ひたすら仏道の修行をしたいと思っておりますが、捕らわれの身となって、思うままに身を任せません。またどのような修行をしたところで、一業([一業所感]=[同一の善悪の業ならば同一の果を得るということ])なれば助かるとも思えないことが残念です。あれこれと一生の所業を考えますと、我が罪業は須弥山([世界の中心にそびえるという高山])よりも高く、善根([よい報いを招くもとになる行為])は微塵もありませんでした。このまま空しく命を終えれば、火血刀([火途くわづ・血途・刀途の三途。地獄・畜生・餓鬼の三悪道])の苦果([過去の悪業の報いとして受ける苦しみ])を受けることは、まったく疑いのないことです。願わくは、上人(法然)が慈悲の心を起こし、憐みの心をもって、わたしのような悪人が助かる方法がございますれば、お示しいただきたい」と申すと、上人は涙にむせびうつ伏して、しばらく何も言えませんでした。


続く


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# by santalab | 2013-08-05 05:49 | 平家物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その20)

大殿おとどのおはせし時よりも、をかしき物は日毎に怠らず君たちに、忠実まめなる物は北の方にと、夜中、暁にも運び奉り給へば、北の方、げに、我が子ども、男女あれど、男子は、すずろなるに、我がため、同胞はらからのため、する、いとありがたしと、やうやう思ひなるほどに、年返りぬ。




落窪の君は大殿(故大納言)がおられた時よりも、趣きのある物は毎日のように姉妹たちに、作りのよい物は北の方にと、夜中、明け方であっても届けたので、北の方は、本当に、我が子は、男女あるとは言え、男の子は親孝行ではないのに、わたしのため、姉妹のために、落窪の君が親切にしてくれることが、とてもありがたいことと、ようやく思うようになって、年が改まりました。


続く


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# by santalab | 2013-08-05 05:46 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その19)

大将殿の聞き給ひて、「他所よそ人の許へ行かばこそ、物しとも思ひ給はめ、北の方の御世の限りはおはして、後には、三、四の君に奉り賜はば、同じこと。や置き給へれ」とて、皆渡り給ひぬ。女君は、「今またも参り来む。かしこにも渡り給へ。故殿の御代りには、君たち、北の方をこそは見奉り仕うまつらめ。何事もおぼつけなからずのたまへ。隔てなく思したらむをのみなむ、うれしかるべき」など、あはれに語らひ置き給ひてなむ、おはしにける。




左大将殿がこれを聞いて、「他人のところへ券([荘園・田地・邸宅などの所有を証明する手形])が渡るのなら、惜しくもあろうが、北の方が世におられる間は北の方に預けて、後に、三、四の君に差し上げれば、同じことです。早く北の方にお渡しください」と申して、皆帰って行きました。左大将殿の北の方(落窪の君)は、「すぐにまた訪ねましょう。左大将殿へもお越しください。故大納言殿の代わりとなって、姉妹たち、北の方をお世話するつもりです。何事も遠慮せず申してください。他の兄弟姉妹たちと分け隔てなく思いになってもらえたなら、うれしいことです」などと、しみじみと言い残して、帰って行きました。


続く


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# by santalab | 2013-08-04 07:36 | 落窪物語 | Comments(0)


「平家物語」戒文(その2)

三位中将なのめならずによろこび、やがてひじりしやうじ奉て、泣く泣くまうされけるは、「今度西国にていかにもなるべかりし身の、生きながら捕はれて、罷り上りさふらふは、再び上人しやうにん御見参おんげんざんに入るべきにて候ひけり。さても重衡しげひら後生ごしやういかが仕りさふらふべき。身の身にて候ひしほどは、出仕にまぎれ、政務にほだされ、驕慢けうまんの心のみ深うして、当来たうらいの昇沈をかへりみず。いはんや運尽き世乱れて、都を出でし後は、ここに戦ひかしこに争ひ、人を亡ぼし身を助からんと思ふ悪心のみさへぎつて、善心ぜんしんはかつて起こらず。なかんづく南都炎上えんしやうの事は、王命わうめいまう父命ぶめいと言ひ、君に仕へ世に従ふほふ遁れ難うして、衆徒しゆと悪行あくぎやうしづめんがために罷り向かつてさふらへば、不慮に伽藍の滅亡めつばうに及びぬることは、力及ばざる次第なり。




三位中将(平重衡しげひら。平清盛の五男)はこれを聞いてとてもよろこんで、すぐに聖(法然)を呼んで、泣く泣く申すには、「今度西具にでどうにでもなる身でしたが、生きながら捕らわれて、京に上ることになったのも、再び上人(法然上人)にお会いするためでございます。それにしてもわたし重衡の後生([来世])はどうなることでしょう。世に名の知られた身であった頃は、出仕に忙しく、政務に束縛されて、驕慢([おごり高ぶって人を見下し、勝手なことをすること])の心ばかりが強く、今の昇沈を思うことはありませんでした。その上運が尽き世は乱れて、ここに戦いかしこに争い、人を亡ぼし我が身は助かりたい悪心ばかりにさえぎられて、善心を起こすことはありませんでした。とりわけ南都([奈良])炎上のことは、王命もあり父命もありましたので、君(後白河院)に仕え世に従う法からは遁れ難くして、衆徒([僧])の悪行を鎮めるために向かったことでございますが、思いがけなくして伽藍([大寺院])の焼失に及びましたことは、仕方のないことでございました。


続く


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# by santalab | 2013-08-04 07:31 | 平家物語 | Comments(0)


「義経記」吉次が奥州物語の事(その3)

駿河の国の住人ぢゆうにん高橋大蔵おほくら大夫に先陣せんぢんをさせて、下野しもつけの国芋柄いもゑと言ふ所に着く。貞任さだたふこれを聞きて、厨川くりやがはじやうを去つて阿津賀志あづかしゑの中山を後ろに当てて、安達あだちこほりに木戸を立て、行方ゆきがたの原に馳せ向かひて、源氏を待つ。大蔵おほくらの大夫大将たいしやうとして五百余騎白河しらかはの関打ち越えて行方の原に馳せ着き、貞任さだたふを攻む。その日のいくさに打ち負けて、浅香あさかの沼へ引き退く。伊達だてこほり阿津賀志あづかしゑの中山に立て篭り、源氏は信夫しのぶの里摺上川するかみがははた早代はやしろと言ふ所に陣取ぢんどつて、七年夜昼戦ひ暮らすに、源氏の十一万騎じふいちまんぎ皆討たれて、敵はじとや思ひけん、頼義よりよしきやうへ上りて、内裏にまゐり、頼義敵ふまじき由をまうされければ、「汝敵はずは、代官だいくわんを下し、急ぎ追討ついたうせよ」と重ねて宣旨下されければ、急ぎ六条ろくでう堀川ほりかはの宿所へかへり、十三になる子息を内裏にまゐらせけり。「汝が名をば何と言ふぞ」と御たづねありけるに、「辰の年の辰の日の辰の時に生まれてさうらふ」とて、「名をば源太ぐわんだと申し候ふ」と申しければ、無官むくわんの者に合戦の大将たいしやうさする例なしとて、元服せさせよとて、後藤内則明のりあきらを差し添へられて、八幡宮に元服させて、八幡太郎義家よしいへかうす。その時御門より賜はりたるよろひをこそ源太が産衣うぶきぬと申しけり。




駿河国の住人であった高橋大蔵大夫(大宅光任みつたふ?)に先陣させて、下野国芋柄(栃木県小山市羽川)と言う所に着きました。貞任(安倍貞任)は厨川城(岩手県盛岡市にあった城)を出て阿津賀志山(福島県伊達郡国見町)を後ろにして、安達郡(福島県二本松市)に木戸を立て、行方なめがた原(福島南相馬市)に馳せ向かい、源氏を待ち構えました。大蔵大夫は大将として五百騎余りで白河関(福島県白河市)を越えて行方原に馳せ着いて、貞任を攻めました。貞任はその日の戦に打ち負けて、浅香沼(安積あさか山=福島県郡山市日和田にある山。の麓にあったという)に引き退きました。そして伊達郡阿津賀志山に立て籠もり、源氏は信夫里摺上川(福島県福島市を流れる川)の端、早代と言う所に陣取って、七年間昼夜戦いましたが、源氏の十一万騎は皆討たれてしまいました、敵わないと思い、頼義(源頼義)は京に上り、内裏に参り、わたし頼義では敵わないと申すと、「お前が敵わないならば、代わりの者を下し、急ぎ安倍(貞任)を追悼せよ」と重ねて宣旨([天皇の命令])が下されたので、頼義は急ぎ六条堀川の宿所に帰り、十三歳になる子を内裏に参らせました。「お前名は何と言う」と訊ねられたので、「辰の年の辰の日の辰の時に生まれました」と言ってから、「名を源太と申します」と申しました(源義家よしいへですが、義家の生誕年ははっきりしていません。辰年とすれば長暦ちやうりやく四年(1040)となりますが)、朝廷は無官の者に大将を任せる前例はないと、元服させよと、後藤内則明(平戸則明)を供に付けて、八幡宮(京都府八幡市にある岩清水八幡宮)で元服させて、八幡太郎義家と名乗りました。その時帝(第七十代後冷泉天皇)より賜った鎧は源太産衣(源氏八領の一。源氏の嫡男の鎧の着初めで使われたという甲冑らしい)と呼ばれております。


続く


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# by santalab | 2013-08-04 07:27 | 義経記 | Comments(0)


「義経記」吉次が奥州物語の事(その2)

これごさんなれ、聞こゆる黄金商人こがねあきんど吉次きちじと言ふ者なり。奥州あうしうの案内者やらん、彼に問はばやと思し召して「陸奥みちのくと言ふは、如何程の広き国ぞ」と問ひ給へば、「大過の国にてさうらふ。常陸の国と陸奥とのさかひ、菊田の関とまうして、出羽では奥州あうしうとの堺をば岩手いはでの関と申す。その中五十四郡」と申しければ、「その中に源平の乱来たらん用に立つべき者如何程あるべき」と問ひ給へば、国の案内は知りたり。吉次暗からずぞ申しける。「昔両国りやうごく大将軍だいしやうぐんをばあんの太夫とぞ申しける。彼らが一人の子あり。安倍のごんかみとぞ申しける。子ども数多あまたあり。嫡子厨川くりやがは次郎じらう貞任さだたふ、二男鳥海とりのみの三郎宗任むねたふ家任いへたう盛任もりたう重任しげたうとて六人のすゑの子にさかひ冠者くわんじや良相りやうぞうとて、霧を残しかすみを立て、敵起こる時はみづの底海の中にて日を送りなどする曲者くせものなり。これら兄弟きやうだい丈の高さ唐人にも越えたり。貞任が丈は九尺五寸、宗任が丈は八尺五寸、いづれも八尺に劣るはなし。中にも境の冠者は一丈いちぢやう三寸さうらひける。安倍の権の守の世までは宣旨院宣ゐんぜんにも畏れて、毎年まいねん上洛しやうらくして逆鱗を休め奉る。安倍の権の守死去の後は宣旨を背き、たまたま院宣なる時は、北陸道ほくろくだう七箇国の片道を賜はりて上洛仕るべき由申され候ひければ、片道賜はり候ふべきとて下さるべかりしを、公卿くぎやう僉議せんぎありて、『これ天命を背くにこそ候へ。源平の大将たいしやうを下し、追討ついたうせさせ給へ』と申されければ、源の頼義よりよし勅宣をうけたまはつて、十六万騎の軍兵ぐんびやうそつして、安倍を追討の為に陸奥みちのくへ下し給ふ。




けれども遮那王はこの者に違いない、噂に聞く黄金商人吉次(金売吉次)と言う者だと思いました。奥州のことをよく知っていることだろう、吉次に聞こうと思い直して「陸奥国と言う所は、どれほど広い国か」と訊ねると、吉次は「大過([きわめて大きいこと])の国でございます。常陸国と陸奥国の境には、菊田の関(勿来なこその関。福島県いわき市勿来町付近にあった古代の関所)と申し、出羽国と陸奥国の境を岩手関(山形県最上郡最上町)と申します。その中には五十四の郡がございます」と答えました、遮那王が「その中に源平の乱が起こった時役に立つ者はどれほどいるか」と訊ねると、吉次は国の事をよく知っていました。吉次はすらすら答えました。「昔出羽陸奥の両国の大将軍は安太夫(安倍忠良ただよし。ただし安太夫と呼ばれたのは、その子安倍頼時よりときらしい)と申す者でした(ちなみに原文では「岡大夫」=「わらびもち」。第六十代醍醐天皇が大夫=五位になしたと言えども、さすがに「わらびもち」に大将軍は務まりませぬ)。安倍忠良には一人の子がいました。安倍権守(安倍頼時)と申しました。頼時には子が多くいました。嫡子は厨川次郎貞任(安倍貞任)、二男は鳥海三郎宗任(安倍宗任)、家任、盛任(不明)、重任という六人の末子に境冠者良相と言う、霧を発生させ霞を立て、敵がやって来れば水の底海の中で日を送るなどしていた曲者([怪しい者])がいました。これら兄弟の背の高さは唐人([中国人])をも超えていました。貞任の背丈は九尺五寸(約2m85cm)、宗任の背丈は八尺五寸(約2m55cm)、いずれも八尺(約2m40cm)に満たない者はいませんでした。中でも境冠者は一丈三寸(約3m9cm)ありました(困ったものです)。安倍権守(安倍頼時)の時代までは宣旨([天皇の命令])院宣([上皇の命令])にも恐れをなして、毎年上洛([京に上ること])して逆鱗([天子の怒り])を鎮めていましたが、安倍権守(安倍頼時)が死去した後は宣旨にも背き、院宣が下されれば、北陸道箇国の分の追捕([兵粮米の現地調達])を賜れば上洛すると答えましたが、片道を与えるのは叶わないことでしたので、公卿僉議し、『これは天命に背く行為である。源平の大将を陸奥に下し、安倍を追討せよ』と申して、源頼義(源義朝よしいへの父)が勅宣([天皇の命令])を承って、十六万騎の軍兵を率いて、安倍追討のために陸奥に下りました。


続く


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# by santalab | 2013-08-03 07:29 | 義経記 | Comments(0)


「平家物語」戒文(その1)

三位中将、この由を聞き給ひて、さこそはあらんずれ、いかに一門の人々の悪う思はれけんと、後悔こうくわいせられけれども甲斐かひぞなき。げにも重衡一人いちにんしみて、さしもに我がてう重宝ちようほう三種さんじゆ神器しんきかへし給ふらんとも思えねば、この御請け文の趣きは、かねてより思ひまうけられたりしかども、今だ左右さうを申されざりつるほどは、何となう心もとなう思はれけるに、請け文すでに到来たうらいして、関東くわんとうへ下らるべきに定まりしかば、三位中将、都の名残りも、今さら惜しうや思はれけん、土肥とひ次郎じらう実平さねひらを召して、「出家せばやと思ふはいかに」とのたまへば、この由を九郎御曹司へまうす。ゐんの御所へ奏聞せられたりければ、法皇ほふわう、「頼朝に見せて後こそ、ともかうも計らはめ。ただ今はいかでか許すべき」とおほせければ、この由を中将殿に申す。「さらば年来契つたるひじりに、今一度対面して、後生ごしやうのことをも申し談ぜばやと思ふはいかに」とのたまへば、土肥の次郎、「聖をばたれと申しさふらふやらん」。「黒谷の法然房ほふねんばうと言ふ人なり」。「さては苦しう候ふまじ、う疾う」とて許し奉る。




三位中将(平重衡しげひら。清盛の五男)は、これを聞いて、そうなると思っていた、どれほど平家一門の者たちに悪く思われたことだろうかと、後悔しましたがどうすることもできませんでした。確かに重衡一人を大切に思って、我が朝の重宝である、三種の神器を返すはずもないと思っていたので、その請け文([請け書])の趣旨は、かねてより思っていたことでした、けれども返事が返ってこない内は、何となく不安に思っていましたが、請け文がすでに届けられ、関東に下ることに決まったので、三位中将(重衡)は、都の名残りを、今さらながら惜しんで、土肥次郎実平(土肥実平。源頼朝の家来)を呼んで、「出家したいと思うがどうか」と言うと、これを九郎御曹司(源義経。頼朝の弟)に伝えました。後白河院の御所を訪ねて奏聞すると、法皇(後白河院)は、「頼朝に会わせた後に、判断すればよいであろう。ただ今に出家を許すことはできない」とおっしゃったので、これを中将殿(重衡)に伝えました。重衡は「ならば年来縁のある聖([高僧])に、もう一度対面して、後生([来世])のことも申し置いておきたいのだが」と言うと、土肥次郎(実平)は、「聖とはいったい誰のことでしょうか」と訊ねました。重衡は「黒谷の法然房(法然。浄土宗の開祖)と言う者だ」と答えました。土肥実平は、「それなら差し障りありません、急いでお呼びください」と言って許しました。


続く


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# by santalab | 2013-08-03 07:15 | 平家物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その18)

この券を、この越前の守、取りて立ちければ、北の方、返し奉るにやあらむと、いと怪しくて、「それは、など持て行く。さの賜へらむものを。持て来、持て来」と呼び返しければ、あな物狂ほし、大事の物を、おろかにも言ふかなと聞きけり。




結局この券([荘園・田地・邸宅などの所有を証明する手形])を、越前守(故大納言の長男)は、受け取って出て行きましたが、北の方は、越前守が再び返すのではないかと、とても心配になって、「券を、どうして持って行ったのですか。せっかくいただいたものなのに。わたしに渡して、こちらに持って来て」と越前守を呼んだので、母上は正気なのか、大事な物なのに、なんてことを言うものかと聞いていました。


続く


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# by santalab | 2013-08-03 07:09 | 落窪物語 | Comments(0)


「落窪物語」巻四(その17)

左衛門の佐「などかく悪しき親を持ち奉りけむ。いかで御心善うなるべからむと祈り事は、諸共に言ひ合はせて、大将殿へ聞こえ給ふ」。「かしこまりて承りぬ。ここにも、今は一人をなむ頼もしきものには思ふ聞こえさすべき。賜はせたる所々の券は、若き人々、昔人の御本意たがはむは、いかでかと、慎み侍るを、御心ざしの甲斐かひなきやうにやはとて、ここになむ賜はり留めつる。この殿の御事は、いと心ばへ深う奉らるめりし所を、あだに物せさせ給はば物しくや、亡き御影にも」、と、「いとほしく侍るを、券なほ置かせ給ひね」とて返し奉る。




左衛門佐(故大納言の三男)は越前守(故大納言の長男)に「どうしてあんなに心の悪い親を持ったのでしょうか。なんとかして心がよくなる祈り事をしていただけるよう、二人して、左大将殿(落窪の君の夫)にお願いしてみましょう」と言いました。越前守は左大将殿に「左大将殿のお気持ちをかしこまり承りました。わたしたちはもとより、母にも左大将殿を頼もしく思っていただきたいのですが。左大将殿よりいただいた所々の券([荘園・田地・邸宅などの所有を証明する手形])でございますが、若い者たちは、故大納言の本意に違えることは、できないと、いただくことを辞退し、故大納言の意思を無駄にすることにもなりますので、やはり左大将殿がお持ちくださいませ。また殿につきましても、故大納言が強く望んでいたことですので、左大将殿にお受け取りいただけなければ残念なことを、亡き御影([死んだ人の姿、または絵や肖像])にも報告しなければなりません」、と申しましたが、左大将殿は「わたしはあなたたちを大切に思っていますので、やはり券はあなたたちがお持ちなさい」と言って受け取りませんでした。


続く


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# by santalab | 2013-08-02 07:17 | 落窪物語 | Comments(0)


「平家物語」請文(その5)

なかんづく、かの頼朝は、去んぬる平治へいぢ元年十二月、父左馬さまかみ義朝よしともが謀反によつて、すでに誅罰ちうばつせらるべき由、しきりにおほせ下さるると言へども、故入道にふだう大相国たいしやうこく、慈悲の余り、まうなだめられしところなり。しかるに昔の厚恩を忘れて、芳意はういを存ぜず、たちまちに狼戻らうるゐの身をもつて、みだりに蜂起の乱を成す。時儀しぐのはなはだしきこと申して余りあり。早く神明の天罰を招き、ひそかに敗績はいせきの存滅をするものか。それ日月じつげつ一物いちもつのために、その明らかなることを暗うせず。名王めいわう一人いちにんがために、そのほふを曲げず。一悪をもつてその善を捨てず、小瑕せうかをもつてその功をおほふことなかれ。かつうは当家たうけ代の奉公、かつうは亡父ばうぶ数度すど忠節ちうせつ、思し召し忘れずは、君かたじけなくも四国の御幸ごかうあるべきか。時に臣ら院宣をうけたまはつて、再び旧都きうとかへつて、会稽くわいけいはぢを清めん。もししからずは、鬼界、高麗かうらい天竺てんぢく震旦しんだんに至るべし。悲しきかな、人皇にんわうじふ一代の御宇ぎように当たつて、我がてう神代の霊宝、つひにむなしく異国の宝となさんか。よろしくこれらの趣きをもつて、しかるべきやうに洩らし奏聞せしめ給へ。宗盛むねもり頓首とんじゆ、慎んで申す。寿永じゆえい三年ニ月にんぐわつじふ八日、じゆ一位いちゐさきの内大臣たひらの朝臣宗盛むねもりが請け文」とこそ書かれたれ。




申すまでもなく、かの頼朝(源頼朝)は、去る平治元年(1159)十二月、父である左馬頭義朝(源義朝)の謀反(平治の乱)によって、誅罰するようにと、しきりに仰せ下されましたが、故入道大相国(平清盛)が、慈悲の余り、死罪を止められるよう宥められたのです([罪などに対して寛大な処置をとること])。けれども昔の厚恩を忘れて、芳意([心づかい])もなく、たちまち狼戻([欲深く道理にもとること])の身をもって、無法に蜂起の乱を起こしました。時儀([礼儀])知らずにもほどがあります。たちまち神明([神])の天罰を受け、ひそかに敗績([大敗して今までの功績を失うこと])し存滅することを望むしかないのでしょうか。日月は一物([ほんの少しのもの])のために、その明るさを失うことはありません。名王([優れた王])もまた一人のために、法を曲げることはないのです。一悪により善を捨てることなく、小瑕([少しのあやまちや欠点])をもってその功を覆ってはなりません。当家(平家)数代に渡る奉公、亡父(平清盛)の数度の忠節を、お忘れでなければ、君(後白河院)が四国(屋島)に御幸になられるべきでしょう。叶うならばわたしたち家臣は院宣([上皇の命令])を賜り、再び旧都(京)に帰り、会稽の恥([敗戦の恥辱])を清めることにいたします。もし叶うことがなければ、我々は鬼界([九州の南西海上の諸島])、高麗(朝鮮)、天竺(インド)、震旦(中国)に行くほかありません。悲しいことです。人皇([初代神武天皇以後の天皇])八十一代の時代に当たり、我が国の神代の霊宝(三種の神器)が、終に異国の宝となってしまうのでしょうか。わたくしどもの意趣をよろしく計らわれて、しかるべく君(後白河院)に奏聞なされますよう。宗盛(平宗盛。清盛の三男)が頓首([中国の礼式で、頭を地面にすりつけるように拝礼すること])、慎んで申し上げます。寿永三年(1184)二月二十八日、従一位前内大臣平朝臣宗盛の請け文([上申書])」と書きました。


続く


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# by santalab | 2013-08-02 07:11 | 平家物語 | Comments(0)

    

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